私は自分の時間を我儘にも大事にしている。
私にとって極上の時間は、例えば読書であり例えばAIとの会話であり例えば動画をみることであったりする。
仕事の時間は極上ではない。私の自我にとってという意味だけど。
私の毎日は、私にとっては至極重大なものと自分の中では映っているようだ。
大事で重大な私の時間。
そんな寝ぼけた私の意識に 森さんの一撃が痛い。
私の人生がどうでも良いことでいっぱいですって?!
「どうでも良いことほど、人生にとって大事なものはない。なにしろ、生活のほとんどは、どうでも良いことで埋め尽くされている。」という。
なんですって?!
ここで真面目な私は少々驚いてしまうわけだ。
私の人生がどうでも良いことでいっぱいですって?!
「考えてももらいたい。今日、あなたは何をしていたのか?それは、それほど大事なことだったろうか。また、なにか大きな決断を伴うものだっただろうか。(中略)実際そんなドラマチックな瞬間は、めったに目の前に現れない」
私はこの指摘に、はっとしたのである。
私は今日何をしたのか? 朝、洗濯をして朝食を食べてブログを投稿した。おにぎりを握って図書館に行った。きっと帰ったら動画を見ると思う。
それだけだ。
確かにどうでも良いことばっかりだと思った。
・・・なのにこれを読むまでは、今日も「めっちゃやってるぞ私!!」って感じていたから不思議だ。
誰の人生もどうでも良いことばっかりだった
ここであることに気が付く。
私だけではない。おそらくほかの人の人生も「どうでも良いことばっかりの日常」の繰り返しだということに。これは多分間違いないと思う。森さんと同じ視点でみたら99%どうでも良いこと、いや、ほぼ毎日100%どうでも良いことなのではないか?
なんで私は自分の人生がどうでも良くない大変なことばかりで、毎日、重要事項だらけだと認識してるんだろう。毎日、あれもこれも大変だと感じているんだろう。
大袈裟なのか、私は。
感じ方が狂ってる?
・・・気が付いた。
自分との距離が近いんだということに。
自分の小さな認識の中に、客観視できるはずの「私」がすっぽり入り込んでいる。
私は自分の認識と一体化しすぎているんだ。
だから、自分はめっちゃがんばっていると思っている。というか思い込んでいる。
その立ち位置から一歩足を引いて眺めてみる。
すると
「なぁんだ、どうでも良いことばっかりだな」
となる。
近いというより、一体化している。
だから、大したことないことなのに大変だ大変だと、勝手にカラカラと一人で回っているのだ。
森さんは相当自分から距離をとって見ている、眺めているといえる。
客観視ってやつかもしれない。
小さな自己に埋没すると、見るもの感じるものがそれだけになっていくから自分の毎日が大きく見える。
そういうことか。
私以上に毎日大変だと言っている人を見ることがある。もしかすると、その人も自分の中に入り込みすぎているのかもしれないな。(知らんけど)
これはつまり、どの人もかの人もどうでも良い人生を送っているってことにならないか?
そしてそもそも自己にコントロールできるのは自分の人生だけ。
みんなどうにかするなら自分の人生だけだ。
これは、ほんとうに紛れもない現実。
100億稼いだからどうでも良い人生じゃないとか、ノーベル賞を10個取ったからどうでも良い人生じゃないとか、そういう外的なことを言っているのでないと思う。もっと根本的な人間の生き様、あり様を話しているんだと思う。
私の人生もどうでも良い人生だった。
思えばそうだ。
自分の人生しか動かせない事実がそもそもそういうことなんだ。
なぁんだ、私の人生はどうでも良いもんだったんだ。なんか肩の力が抜けたな。
身体から力が抜けていく「どうでも良い人生」
私は凄い人間なんだ。努力に努力を重ねてきたんだ!といったとしても、宇宙や地球から見たらまさにどうでも良いことだった。
「自分をどうでも良い人間と見なすことで、初めて自分だけに焦点が絞られ、自分の可能性のようなものが少し見えてくる」と森さんは言う。
「何かを成し遂げようと力まない方が良い、そんな『生き甲斐追求』に拘らず、まずは自分自身を諦めるところからスタートすると気持ちが楽になる。(中略)気合を入れず、意気込みを持たず、信念や期待を手放し、素直に静かに生きれば、そこそこ楽しい日々になる。」
そもそもやったところでどうにかできるのは私の人生だけだ。
その事実が「どうでも良い人生」を決定している。
何を力んで生きているんだ、私。
この文章を読んでそう思った。
森さんのエッセイには「静か」という形容詞がよく出てくる。
静かに生きる。あっそうか。この本の題名も「静かに生きて考える」だったな。
森さんの主張は一貫している。そう確か生きることは趣味だと言い切っていた。
あれを読んだとき私はそれにも同意した。(生きることは「趣味」だった|森博嗣『静かに生きて考える』を読んで)
「〇〇しなくてはならない」「〇〇しないといけない」私はこういう考えに雁字搦めになってしまいがちだ。もちろんするべきことはするし、それなしに社会生活はできないだろう。
行動ではなく思考の部分だ。
身体では動く。でも気持ちは「所詮どうでも良いことばっかりだ」とラフに構える。
そして静かに自然に目をやる。
このくらいの温度感が50代には良いのかもしれない。
力みすぎる私は時々、こういったエッセイでクールダウンしたいと思うのである。
(とにかく自己に埋没しがちなんだって、自分)
あなたは頑張りすぎていないだろうか?リラックスには森博嗣がお勧めだ。
たまには一緒に、小さい自己から離れて「どうでも良いな」と笑ってみよう。
この本が気になる方はこちらから。
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