「面白い」を感じられるかどうかが、幸せを決めている。そう思うようになった私が出会った、ドンピシャな一冊。
最近、自分が面白いと感じることができるものの有無が幸せに大きくかかわっていると考えるようになった。私が面白いと感じるものが多いほうがもちろん、幸せだということだ。
「面白い」と感じることができる心。
「面白い」と感じることができる対象。
この2つが幸せの土台には必要だと考えている。
そんな私にストライクな本。大好き森博嗣さんの本「面白いとは何か?面白く生きるには?」である。まさにドンピシャ!
「面白い」が理解できれば、幸せが見えてくる。そんな期待を込めて読み進んでいきたい。
赤線を引きたくなる、あの感覚。
私は森博嗣のエッセイが好きだ。理由は面白いから。何が面白いのか。ありふれた日常の感情や考え方に新しい視点を与えてくれるから面白い。
「はっと気付かせてくれる」あの感覚。
なかなか言語化できないもやもやとした感情を言語化してくれている箇所にぶつかると、「そうだ、これだ、この表現だ!」と思わず赤線を引きたくなるあの感覚。
「!?」っていう感嘆符をつけたくなる感覚。
これが「面白い」の正体のような気がするが、どうなんだろう?
森博嗣が持つ現象と人間の内面の観察力の鋭さとそれを表現する文章力。
これらの才能が合わさって彼のエッセイは完成する。
そしてその才能の一つ一つが私にとって、面白さを提供してくれる具材になっている。
その「面白さ」の正体は?森博嗣が作り出すスープはなぜこんなに私にとって美味しいのか、面白いのかを考えてみたい。
「面白い」という言葉自体が「面白い」
一言面白いって言ってもそれはほんとうにいろいろだ。
「笑えるような「面白さ」と、笑うわけではないが興味をそそられる「面白さ」があるように思われる。」
可笑しいと同じ意味でつかわれる「面白い」。漫才見て笑ってるあの楽しさだ。
何かに嵌っているときに使う「面白い」。数学の問題やパズルに夢中で取り組んでいるときに感じるであろう感覚だ。
人は楽しいと同じ意味で面白いともいうし、映画で泣いたり怖がったりしても面白いという。
面白いという言葉は多様である。
確かに一言面白いといっても、人それぞれだし、その場その場で違った意味を内包している。
私は、「面白い」という単語が、これほど多彩であること自体が「面白い」と感じてしまうがいかがだろうか?「面白い」という言葉はそれ自体が「面白い」のである。(笑)
森さんも言っている。
「面白さ」が曖昧である、個人的であり、そもそも抽象的にしか把握できないもの
だと。
あくまでも、あなたの「面白さ」は、あなたしか作れないものだから
本書にそれを期待するなとも。やっぱり自分だよね。
面白さの先には「満足」があった!
が、やはり森さんだ。私になかった気付きをくれた。思わず手をたたいた。
「さまざまな「面白さ」があって、それに対する最初の反応は異なっているが、最終的にはなんらかの満足が得られる、という共通点がある。「面白い」とはすなわち「満足できる」ことだからだ。」
これは発見だった!なんと面白さの向こうに満足があった!確かにこれは思い当たる。
人間の脳は満足することを求めているという。
満足とは、欲しいものが手に入ることであり、自分が思い描いたとおりになること。
私が面白いって思う先には「満ち足りた」が見え隠れしていたのだ。
例えば映画を見た。大泣きした、もしくはめちゃくちゃ怖かった、ぞっとした。それでも最後には「見ごたえがあった、面白かった」と思うことがある。悲しい、怖いなど一見マイナスの感情ではあるが、最後は面白いと思えた。「面白かった、見た感想を友達に語りたい!」すると笑顔になる。笑顔になれたのだったら満足した、欲しいものが手に入ったといえるのだろう。私は映画に期待していた感情を得ることができた、たとえぞっとする怖さであっても悲しくても満足だ、にっこりハッピーエンド。こういう流れだ。
人間の感情ってそれこそ面白いなと思う。なんという曖昧さ、なんという奥深さ。
さらにその向こうには「自由」があった
森さんの「面白さ」は「自由」だという。
「思い描いたことが現実になることを「自由」と定義している。」
自由って聞くと家でゴロゴロ自由に過ごすような怠けた生活をイメージしてしまうが違う。もっと積極的。自分の好きな状況を実現させるモチベーションの高い状況を指す。目標に向かって「レッツゴー!」と動いている状態。
「自由は、自分が計画したとおり、自分が予定したとおり生きることであり、それが人間の満足の根源でもある。したがって「面白い」というのは、この自由へ向かう方向性を感じている状況であり、いずれ自分は満足するぞ、という予感が、その人を笑顔にさせるのである。」
こういう深掘り感が好きだ。
人は「自分はこの事柄で、近々満足できそうだ、わくわくするぞ」っというのが「面白い」の正体なんだ。その人にとってきっと次はこうなる(自分にとって良いほうに予測できる)状況のきっかけが「面白い」なんだ。
「この漫画面白かった」と言う感想は、「この漫画に満足した」に言い換えることができる。そしてこれは、投資にも言える。
個別株の持ち株が突如としてチャートが上に抜けることがある。「面白い!!」って思う。何故か。チャートが上に抜けるってことはこれから上がる可能性が高いから。この喜びの予感の感覚だ。
確かにチャートが下に抜けたら「面白くない」。それはきっと下がっていく兆候だから嫌な予感しかない。つまりこれの後ろに満足はない。
喜びの予感の後ろには満足が待っている。
様々な面白いが存在する。そして何をどう面白いと感じるかは人によっても様々だ。でもその人が感じる面白さの先には、その人の満足があることは共通だ。面白いと感じるその先に自分の思い通りの現実が手に入るだろう予感がある。
それが「面白い」の正体。
そういうことか。良い予感は大事だ。
私が面白いと感じることは、「面白い=興味がある、(え、どういうこと?という思いが隠れている)」で使うことが多い。興味があることの先には、自分を納得させてくれる何かが手に入る予感がある。納得する=満足するに近い感覚だろう。その対象を調べてわかれば、面白い!そういうことか!って私は思う。膝を叩いて喜ぶこともある。ほら、私の思い描いた通りの楽しい現実だ。
何かに取り組んでいて面白いと感じるときは、「面白い=楽しい」であることが多い。ゲームで遊んでいて面白い、「やった!勝った!」と感じるあれだ。ゲームの中には意外性もあるし、他者に勝利する喜びもある。自分がやって勝てばまさしく望んだ未来だろう。満足が隠れている。
これを別名「自由」という。
「面白い」を追っかけていけば、「満足」と「自由」がついてくる。「面白い」の探求はとても理にかなっている、タイパとコスパが良いと感じてしまうのは私だけだろうか?
面白いは多いに越したことはない。私はこの時点で大いに納得したのである。
あなたは何を面白いと思うだろうか?
私もゆっくり考えてみたい。
まだまだ、「面白い」を探していく探検は続く。
この本が気になる方はこちらから。
面白いとは何か?面白く生きるには?
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