またまた大好き森博嗣さん。
この人の文章は美しい。私と相性がいい。心に響く。
だからどうしてもメモしたくなる。
美しい文章はそれだけで癒しの力があると思うがいかがだろうか?
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日常のフローチャート(Amazon)
森さん自身の日記的内容 彼の思索をのぞき見する楽しさ
私は過去何冊か森さんの本を読んでいる。
どれもエッセイだった。
考え方に共感できる作家さんだから読んでいて心地いい。
今回はエッセイというより日記的な内容だった。
日々の生活のこと、体調不良のこと、救急車で運ばれたことなど、今までのエッセイでは感じることができなかった森さんがこの本の中にはいた。森さんと私は今この地球で時間を共有している。会ったことも声を聞いたこともないけれど、同じ時を生きている。このことを今回、感じることができた。
なぜだか嬉しかった。きっと「好き」なんだろう。好きな人と同じときを生きているって素敵なことだ。
森さんはそんなに高齢ではないようだが私より年齢は上、そして。もともと完全な健康体ではなかったらしい。エッセイの中では切れ味のいい文章が印象に残る。私はてっきりもっと若い作家さんかと思っていた。
この本の中には写真がモノクロでいっぱい出てくる。庭の木々たち、愛犬、線路、遠くの野原、雪化粧した風景、どれも森さんが愛情を注いでいるものたちだ。寒い土地で広大な敷地のお家に住んでいるみたい。趣味のSL(実物の約6分の一の大きさ)を自分で庭に走らせつつ、落ち葉の処理をしている森さん。冬は極寒。短い夏が楽しみだとか。
作家の日常が感じられる文章が楽しい。その中でも、森さんらしい思索がちりばめられていて味わい深い。私もこんな文章がさらさら書けたらいいのになと思う。
この本は森さんが日常で思索したことを、さらっと書いてそのあと自身の生活を触れる形で進んでいる。
なかには、「あっ!」と感じるエッセイもある。私が「あっ!」と感じたものについて書いていきたい。(私は「あっ!」と感じるとメモしたくなる衝動に駆られる。このブログもその現れだ。)
ここでは私が「あっ!」と感じた3つのことについて書いてみたい。
自由 ああ、その甘美なるもの
自分が自由にできるお金が少ないと思う人は、とにかく働くしかない。働くのが最も安全で効率が高い解決策であり、自由を手に入れるための近道である。 中略 でも、少しずつでも、自由に近づきたい。まずは、そう思うことが大事。近づきたいと思っただけで、なんとなく楽しい気分になれる。自由に近づくことは、別の言葉にすると「幸せ」だ。人が幸福をかんじるのは、自由に近づこうとしているときだ。
自由、誰にも気兼ねなく、誰にも命令されず、何をしてもいい。自由。
これは幸福の条件かもしれない。
自由に向かって歩いている実感がある。それは幸福に向かって進んでいると同意なのかもしれないな。
私も自由になりたいな。以前に比べたらめっちゃ自由だよ私。当時の私にいわせれば、「パラダイス!!」。でも、いざそうなると、その感激が薄れるから不思議である。
私の場合、自分の中に仕事しろっていう檻がある。
この檻が曲者だ。50年かけて作った価値観ともいえる。
自由の道を自分が作った檻が邪魔するなんて。良かれと思って受け入れた価値観が自分を縛る檻になる。私は最近それを感じている。
インプット(他から与えられる娯楽)は贅沢な買い物
他者から与えられる楽しみを買うと、一時で簡単に楽しむことができるものの、短時間で終了し、そのあとはなにもない。楽しかったこともすぐ忘れてしまう。
自分で楽しみをもって、自分で生産すること。つまりアウトプットする。一生何か作り続ける生活。それが、本当の楽しさを生み出すし、また金もかからない。ゆったりとしてのんびり生きていける。そして、実は、この金をかけない生き方こそが、本当の贅沢なのである
なるほどね。森さんは鉄道模型が大好きで、大きな敷地にSL模型を走らせて遊んでいるという。自分で作って自分で遊ぶ。楽しんでいるらしい。
私は何アウトプットしている?
そうだ、まさにこのブログだ。私のアウトプットの代表格。
このブログの前は読書記録を手書きで行っていた。せっかく心に響いたのに忘れてしまうなんて勿体なくて私にはできなかった。最悪忘れてしまっても、このノートを見れば思い出せる状態にしておきたかった。それが今はブログに姿を変えている。
私にとっては考えた足跡まで残っている。
アウトプットだ。このブログ。森さんほど壮大なものじゃないけれど、生み出していることには変わりない。これは発見だったな。
私にとっての成功って何?
私の生活の中でも「やった!」と思える瞬間はある。例えば、針穴に糸を通すことができたとか、片付けが終わったとか、そういう日常の小さいことから、やっと就業規則が完成したとか、障害年金の申請が終わったとか仕事面でもいろいろだ。「やったー 出来た!!」とガッツポーズをする。これはどういう状態なのか?成功とはどういうことをいうのか。森さんと一緒に考えてみたい。
日常生活の成功については先ほど書いた。
でも、もっと長い時間幅で見ると、「仕事をする必要なく、毎日、好きなことを好きな時に自分がやりたいことだけできる状態」を手に入れることができて、「成功」といえるかもしれない。そう考えている私がいた。
圧倒的な自由。その状態が成功。
そんな価値観をもっているみたいだぞ、私。私は好き勝手に生きたいんだ。(我ながら結構な自己中心的発想。ちょっとびっくりした。でも確かにそう思っているみたいだ)
これを手に入れるためには、お金を得なくちゃならない。お金のために働いていたらそれは自由ではないからね。時間が取られるのは何より自由ではない。
仕事とは商売であり、生産して対価を得る活動だが、そこには多かれ少なかれ、他者との競争に巻き込まれる。仕事でなくても、社会の中で良い立場を築くためには、競争に勝たなければならない。だから勝つことが成功だ、という価値観がそこから生まれる。
と森さんは指摘する。競争しなくちゃ、成功できない。
確かにそれも現実かと思う。出世競争とかいわれるしね。
お金を得るためには競争して勝たなくちゃならない。のか?!
うーーん、私は営業は嫌いだし、他人とぎすぎすするのはもっと嫌だ。
。。。負け組確定
なのか?
競争に勝ってバリバリお金を稼いで・・・はい、成功者です。
私はそれにはなれない。
50年生きてきてそれはないと言える。
じゃ、私はどうするべきなのか?
ここからが森さんの素敵なところである。「さて、人を蹴落として手に入れるものだけが「成功」だろうか?それではあまりにも殺伐としていて残念な気分になってしまう。そうではなく、自分が喜べる時が「成功」だと考えることもできるはず。」
森さんは日常の個人的な自己満足とも言える小さい喜びこそ「成功」だと考えているそうだ。ペットが可愛い、それだけで笑顔になれる。それはペットを飼った人の成功だという。
「他者に認めてもらわないと成立しない「成功」よりも、ずっと純粋で確かなものだと感じている」という。
他者が介入しない喜びは強い。自己満足は自分で完結するから、価値があるし素晴らしいと私も思う。私はこの成功の考え方が凄く好きだ。拍手喝采、「ブラボー!!」である。
森さんの本にはこういう瞬間がある。
嬉しいかぎりだ。
「無事」でありさえすれば、また挑戦できる
森さんも若いときは「成功というのは、もっとチャレンジの結果ゲットできるものであり、過去にない成果を得ることだというイメージがあった」そうだ。でも年齢を重ねるとともに、そうではないなと確信しているという。
森さんにとっての成功は「無事」であること。
これは新しい視点だった。新しい私の中での気付きだった。素晴らしい!
「現状維持では意味がない、と考える人もいらっしゃるだろう。若いころの僕はそう感じていて、何かを変えなければ意味がない、成長しなければ価値がない、という概念に取りつかれていた。」そうなんだ。若いときは森さんでさえそうだったんだ。私はまだちょっとそう考えている節があるな。若い証拠か?(笑)
それは、自分を競争に駆り立てるような焦りにほかならない。考えてみたら、制限時間が決まっているわけでもなく、またゴールがどこかにあるわけでもない。人生というのは、永遠ではないけれども、いつが終わりなのかわからない。そして、最後には、無に帰すものである。
ここで私は唸るのである。そうだった。制限時間が決まってない、いつが終わりかもわからない。いつかは終わるけどそのいつかの時は、一人行くしかない。
・・・競争なんて無意味じゃん。そんな競争で得られる成功って不必要だ。意味がない。
自分が小さい檻に入っていたことに気が付いた瞬間だ。
死はすべてを分かつ絶対的なものとして意識しようと努力していた私。
でも、ここではその死が「そうそう身構えるなよ。僕はいつ来るかわからないだろ?肩の力を抜けよ」そう言ってる気がした。
さらに森さんは新たな価値を提示してくれている。
それでも、「無事」でありさえすれば、またチャレンジができる。つまり、この「またできる」という感覚こそが「成功」の証なのではないか、と思うようになった。いろいろ失敗があったり、反省が多々あったりしても、「またできる」状態ならば、それは「成功のうち」であり、「成功の一部」だと考えることができる。
これは年齢を重ねた著者だからこそ、言えることだと思う。
この本にも書いてあったが、何度か救急車で運ばれ健康的に辛い時期を経験していたからこその思いではなかろうか?
それだけに、言葉が私の中に響いてくる。
しかも優しく静かに、湖面に広がる波紋のようにじんわり響いてくる。
「無事」を重ねることが、人生の成功である。少し気を付けていれば、誰でもできる。ときどき予期せぬ不運が襲ってきても、また少しずつ無事を重ねて挽回していけば良い。勝たなくて良い。負けても良い。またの機会を待てることこそが、成功の価値なのである。
じんわり心にしみる文章。
今日一日無事で、欲を言うと元気であれば大成功である、そういうことだ。
「生きているだけでまる儲け」とはよく言われるが、それはこういう意味もあったのかもしれない。
無事を重ねて、挑戦を繰り返せるこの状態を成功という。
これは新しい価値観として持っていてもいい考え方だろう。
若い人には理解が難しいかもしれない。
でも50年生きてきた私にはわかる。毎日は小さくて平凡なことの繰り返しだ。それでも自分が欲しいもの、やりたいことに向かって挑戦していく。その再挑戦できる過程がそもそも成功だった。これは肩の力を抜いて楽しみながら挑戦したらいいよっていう森さんからのエールだと私は感じた。
「またできる」なら、それは成功だ
私は「成功」にはお金が必要だと考える傾向がある。そしてそれは事実だとも思う。
でももっと大きく広げて考えると、お金を得ようとチャレンジを繰り返すことができること自体が成功であったというお話。
あなたはこの意見をどう思うだろうか?
私も数々の荒波を受けて難破しそうになったこともあった。
床底に穴が開いて浸水、もはや沈没かと思われた時期もあった。
でも「またできる」状態だった。船を修理しまた船出できる状態だった。
これを成功という。
そして私の船は、今もなお航海中だ。
そうであれば私は成功者だろうし、これを読んでいるあなたも成功者だといえる。
私はひとりにんまりしてしまった。
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健康のことも、心のことも、根っこにある不安は同じだと思う。私がこのブログで伝えたいことはお金の話ばかりじゃない理由|50代おひとり様がこのブログで伝えたいことにまとめている。
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【このシリーズ全4話:日常のフローチャート】
①森博嗣「日常のフローチャート」を読んで|自由・成功・「無事」という人生の価値(今読んでいます)
②私は何のスペシャリスト?|森博嗣の『日常のフローチャート』から考えた50代の個性
③森博嗣「日常のフローチャート」を読んで|発想できない私に「遊べ」と教えてくれた
④森博嗣「日常のフローチャート」を読んで|幸せとは「楽しい時間」なのかもしれない

