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森博嗣「日常のフローチャート」を読んで|発想できない私に「遊べ」と教えてくれた

50代になって、新しい扉が開いた話
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→①はこちら:森博嗣「日常のフローチャート」を読んで|自由・成功・「無事」という人生の価値
→②はこちら:私は何のスペシャリスト?|森博嗣の『日常のフローチャート』から考えた50代の個性

AIがものすごい勢いで普及している。スマホでみんなAIと会話する時代だ。

AIの普及でこれからなくなる仕事も増えると話題だ。仕事がなくなると騒々しくなっている向きもある。

そんな今現在、これから求められる人ってどんな人なんだろう?

森さんは発想できる人が必要になると書いていた。

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発想できる人になるには?これからは発想の時代!

あなたはアイデアを思いつく人だろうか?

私は、思いつかない部類である。

子供のころは結構な無茶ぶりを発揮していたけれど、だんだん型にはまった人間になった。

新しいことを思いつかなくなった。

哀しいかな、これが社会に一生懸命順応してきた、私の50年間の努力の賜物といえる結果だ。昔の自由な私だったら発想の天才になっていたかもしれないな。

まったく新しいアイデアを思いつくためには、現在存在しないものをどこかから取り出すような思考が欲求される。これが発想という行為であり、社会に順応して成長した頭脳は、これが苦手だ。普段の思考と正反対だからである。

ですよね、森さん。私の頭脳は社会で生きていくために、頑張って頑張って順応してきたんだ。そしたらこんな面白みのない頭になってしまった。涙

知らないことが大事な時代

発想に必要なものは、「無関係」な思考であり、別の言葉にすると、それは「無知」な状態ともいえる。(中略)知らないこと、記憶が少ないことが、むしろ身軽な思考を促す。「知恵」とは、自由な思考力のことであり、そのために知るべきものは、基礎的な公理、法則、原理のみである。

「もしかして、これが?」という思いつきを、日常的に体感する「知恵」のある人が、人間の未来を支えることは、まず間違いない。

ここを読んで、私はイーロン・マスクさんを思い出した。発想力の塊、そして実行力のお化け。彼は失敗なんて意に介さない。やることと実現することのみ見つめているまさに現代が生んだ時代の申し子。彼の発言には注目しているのは、時代を動かす人だからだ。

私のあこがれの存在。凡人は天才に憧れるものだ。自分にないものを持っているから。

イーロンになりたいとは言わない。

でも、私だってちょっとは発想できる人間になりたい。

ちょっとは「ひらめいた!」って言いたい。

ハウツー本は多いけれど、どうやってひらめくかのハウツーはまだわかっていない。

森さんはいう。

「遊べ」

と。発想がわかない人は社会に求められなくなり、仕事をしなくても良いグループになるだろうという。だから遊べ、遊ぶことが仕事になるらしい。

詩を書く、絵を描く、作曲する、ガーデニング、DIY、機械の整備、家具の修理、ペンキ塗り、部屋の模様替え、野菜作り、ペットの世話、ゲーム、ギャンブル、観劇、芸術鑑賞、旅行、投資、恋愛、子育て、介護、ボランティア、ETC・・・まだまだたくさんの「仕事」が残されている。儲からないものばかりだが、これからは趣味や遊びが生きがいになる。そしてもしかしたら、子供のように遊びつくした人たちの中から、新しい発想ができる人材が育つかもしれない。

・・・儲からないがポイントだけど、これらを無心にしてみるのも良いかもしれない。

いや、発想できない私にはそれしか残されていないのかもしれない。

無心に遊んでいるうちに、ある日「ひらめき」が降りてくるかもしれない。

そうしたら社会に貢献できるかもしれないな。

発想できるかどうか。

考えてもいかんともしがたい難題だ。考えて何とかなるなら「発想」とは言わないな。我ながら苦笑だわ。

生きがいが必要な時代が来る

さらに、発想だけではなくこれからは「生きがい」が必要な時代になるという。

これは複数人が主張している未来像だ。仕事はコンピューターとロボットが全部してくれる。仕事がない人があふれる世界。彼らは何を生きがいにするのか?

それが問われる時代の到来が予測されている。

生きがい、発想、両方の視点から「遊ぶ」は良さそうである。

本心から童心に帰って、遊ぶことができたら素敵だ。

もし「生きがい」が必要なら私は他者に生きがいを与えることができる人になりたい。

さっきの遊びにも通じるが、遊びは生きがいになりえると思うのだ。

遊び=関心ごと であろうから、遊びで人がつながれば生きがいになるのではないか?

遊び、人とのつながり、そんな中で他人の役に立ててると感じられれば、小さいかもしれないけれど生きがいになると思う。

AIが世界にどう浸透するのかわからないけれど、生きがいについては自分なりの考えを持っておきたいと改めて思った。

これからは、今までの常識を覆す社会と世界が待っているのかもしれない。

森さんの文章で私はちょっとした未来を垣間見た気がした。

そして新たな問いが浮上してきた。

「私の生きがいって何だろう?」である。

さらにあなたにも聞きたい。

「あなたの生きがい、何ですか?」

考えてみてほしい。

これからの生き方の指針になるはずだ。

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健康のことも、心のことも、根っこにある不安は同じだと思う。私がこのブログで伝えたいことはお金の話ばかりじゃない理由|50代おひとり様がこのブログで伝えたいことにまとめている。

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