→①はこちら:森博嗣「日常のフローチャート」を読んで|自由・成功・「無事」という人生の価値
→②はこちら:私は何のスペシャリスト?|森博嗣の『日常のフローチャート』から考えた50代の個性
→③はこちら:森博嗣「日常のフローチャート」を読んで|発想できない私に「遊べ」と教えてくれた
森博嗣さんの「日常のフローチャート」を3記事書いてきた。今回が最終回、4記事目だ。
森さんの思索は幅広い。
最後、50代なら考えているだろうことに森さんの思索が広がっていく。
私はとても楽しかった。
あなたにこの楽しさと深さが伝わればうれしい。
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充実した人生に唯一必要なもの あなたは知ってますか?
あなたは長生きしたいだろうか?それは何のためであろうか?
私は長生きしたい。
100歳までは自分の足で歩き自分で考え自分で生活したい。
何故か。
100歳まで生きれば、楽に旅立っていけると考えているからである。痛いとか苦しいは大嫌いなのである。
長生きしたいという願望には、実は、病気や怪我などで苦しみたくない、という意味が隠れていると想像できる。やはり、何事もなく平穏でいたい、それが幸せだというところへ行き着くようだ。
はい、その通りです。私が100歳目指すのはまさにそこだと言いたい。再びいう、痛い苦しいのは嫌なのである。
森さんは問う。
「しかし、こう問いたい。「だから、なにごともなく平穏な状況は何のためなのか?」 平穏な毎日、なにもトラブルがない日常、それはつまり、今現在の日々のことだろうか? 今が幸せで、これが未来にわたって、できるだけ継続してほしい、という願望だろうか? だとすれば、平凡な今の生活が人生の目標だったのだろうか?不満はないのか?もっと望んでいること、欲しいものはないのか?」
あなたもこの問いに答えてみてほしい。
あまり具体的に考えたことがない問いと感じるのは私だけだろうか?
この平穏な状況は何のためなのか?
私はこうして新しい考えに触れ、「あ、そうか!」と自分で考えている時間がとても好きである。だからこうしている時間がずっと継続してほしいと願望している。これは間違いない。平凡な今の生活が人生の目標だったのだろうか?私は今の生活は30代後半の私に言わせれば、理想的と答えると思う。過去の私から見たら目標だったといえる。
不満はないのか?もっと望んでいることはないのか?・・・自分が理想とする家に住みたいなとは思っているし、自分に発信力をつけて社会の一隅に元気と明るさを届ける影響力は持ちたいかな。
森さんは人々が長寿を願うのは、平凡な日々を続けていれば、今より良い状況が訪れるかもしれないそういう期待をもっているからだという。
そしてそれはそれで良いし、ある種、幸せの一例として評価もしている。
心配や不安というのは、幸せを基準とした観測なのだ。現在が明らかに不幸ならば、さきの心配をする余裕さえなくなる。将来に対する不安は、むしろ小さく感じられるであろう
「!」これも発見だった。心配や不安、どうでもいい小さいことが気になるのは、それしか気にならないほど幸せであるという証拠なのである。これはちょっとした発見だった。
人間の感性というのは、現在の絶対値ではなく、現在の変化率に支配されている。これはたとえるなら、速度は体感できないが、加速度は感じることができるのと似ている。
なんと人間は現在の状況を図る尺度をもっていないという。どこに向かってスピードをあげて進んでいるかを感じるセンサーだけを持っているという。
だから今超絶幸せだと思っても、あっという間に普通になるし、このままいけば良くなる、悪くなる、その変化のみを感じてそれに対処しているらしい。
確かにそうなのかもしれない。
幸せや安全な状態っていうのは常に感じておく必要はない。
気付くべき、対処するべきは「これから悪くなる」って時だから。だからマイナスのことはセンサーに引っかかりやすい。
まったくうまくできているよ。
幸せって何?それは楽しい時間
幸せというのは何か、つまりそれは、楽しい時間のことだろう。では、どうすれば楽しくなるのか?難しくはない。楽しいことをすれば良い。
答えは至ってシンプルである。
嫌な仕事が終われば楽しいのか?面倒なことが終われば楽しいのか?寝ていたら楽しいのか?否。嫌なことをしていない時間は楽しい時間ではない。ずっと永遠に寝ることもできない。やはり楽しいことをして初めて楽しい時間になるのである。楽しい時間が受け身ではあり得ない。
ここが一番大事な点だが、あなたは自分が何をすれば楽しく感じられるのかを知っている必要がある。
「自分は何をすれば楽しめるか、あなたは知っていますか?ずばり、それは何か、今説明できますか?」
誰かと一緒になにかをして、おしゃべりして、みんなで楽しくしたい・・・そうではなく、あなたがしたいことを尋ねている、他者からしてもらいたいことではない。あなたがあなたのためにすることなのだ。
これに答えられるだろうか?
私はどうか。
わたしがわたしのために楽しむためにすること。
私は、どこかに行く、本を読む、動画を見る、そしてそれらを見て聞いて考えて「新しい気づき」を得ること。これが一番楽しい。「そういうことか!」と膝を叩く瞬間が楽しい。それに、自分の心情を的確に文字化できたときの達成感も良いものだ。私は知ること、あっそうだったのかと納得すること、わかることが楽しいみたい。その楽しみを得るために行動があるみたいだ。
まず、自分が何をすればよいのか考えること、これが一番。そして、そのために必要なものを準備すること、これが2番、少々面倒かもしれないけれど、それを考えて、実行すること。これが明日を幸せにする方法である。
この1番が思想、2番が計画。人生を充実させるためには、この思想と計画が必要だという。そして補助的に時間、資金、場所、他者、才能、努力、運が必要らしい。
やはり自分を知ることがすべての一歩ということだろう。
己を知って初めて己を喜ばせることができる。楽しませることができる。
「今日、私は楽しんでいるだろうか?」
楽しんでるかい?」「いやもう、とんでもないよ、まったく楽しくない!
そう私が言ったのなら、何をしたら楽しいのか聞いてみよう。
自分を楽しませること。
それのみが自分を幸せに導く道しるべになると思うが、如何だろうか?
私にとっては森さんの本を読むことが、新たな発見の連続で非常においしい楽しみになっていることを書き添えておく。
さっぱり、安気に、あっさり、自然に・・・森さんの死に対する姿勢
森さんは今が一番死を覚悟しているとのこと。そして死後のことは考えない自信があると言っている。
死んだら、あとは無があるだけだ。自分がいなくなった世界というのは、自分にとっては無なので、考える必要がない。これは理屈かもしれないけれど、理屈は思想の基本となるものだ。
死後になにかを遺そうとか思わないし、墓もいらないし、子孫がどうこうなども考えない。遺言も書かないし、生きてるうちにあれこれ指示するつもりもないそうだ。
森さんの死生観を聞いてみたい。
私は自分が死んだとき、上空から自分を見る気がしている。
そしてそのあと旅立っていくんだろう、光が差すどこかへ。そんなことをぼんやり思っている。あくまでそんな気がしている程度のこと。
私も自分の死後のことはわからないし、たいして未練もないと思う。
心配事もない。
死んだら、それでお終いでしょう?だから、あらかじめプログラムしておくような準備は無理。さっぱり、安気に、あっさり、自然に死にましょう
良いですね、
さっぱり、安気に、あっさり、自然に死ぬ。
新しいキャッチフレーズにさせてもらいましょう。
森さんの死への思い
いつかどこかで死ぬだろう。それはいつでも良いし、どこでもよい。ばったり倒れて、野垂れ死にするのが理想だが、そうはいかない可能性も高い。できることなら、あまり苦しまずに死にたいから、治療を受けず、早めに意識を失いたいものだ、くらいの願望はある。でもこれも、願っても仕方ない部類で、真剣に考えているわけではない。
なんでこんなに文章が上手いのかな、この人。
私が思っていることをそのまま文章にしてくれている。
ほんとうにこの通りだ。私が健康で100歳目指してるのは楽に死ぬため。若くして病に侵されると多分苦しむことになる、だから100、もしくは120でもいい。
長生きしたいというより、楽に死にたいからの努力であることに気が付いた。
そうなんだよ、私は。痛い苦しいのが嫌なんだ。
遺言書は書かないつもりだし、生きているうちに、あれこれ指示をするつもりもない。そもそも、子供たちとそういう話はまったくしない。大事なパスワードくらいは、どうすれば知ることができるか、という道筋をどこかわかりやすいところに記しておこう、というくらいである。これは、ドライブに出かけるとき、事故で帰れなくなるかもしれないので、日ごろから実践していることだ
すごい多額の資産家だから、きっちり用意して弁護士に遺言書でも預けてるのかと思った。
私は以前、エンディングノートについて、遺言書について書いたことがある。→【関連記事:エンディングノート・遺言書の記事リンクを差し替えてください】
これって必要だし、大事なことなんだけど、正直気が重い。
でも書いておきたいって、書いておこうって気を向けた私。(なんとまじめな私!!(笑))
森さんがまったくの成り行きで行ってる姿を見て、なんかほっとした私がいた。
無理して仕向ける必要もないかって。
私が書きたければ書けばいいし、何も準備なく死んだならそれこそ私には関係ないことだから、「よし」とすれば良いっか。
ちょっと、楽になった。
森さん ありがとう。
死は人生最大の謎だと思う。神様は最後に死ななければわからない大きな問いを残してくれた。楽しみとは言わないけれど、その後が気になるのは確かだ。
まったくなにも「無くなる」って意見も多い。
でも「無」は「無い」ってことだから「死は無い」という話もある。池田晶子さんだ。その池田さん本人も亡くなってしまった。池田さんは今どこで何を考えているのだろう?
ふと思った次第である。
「死」は奥が深い。無について考えていることと同意だから、おそらく底もないんだと思う。
まったく。
読後思うこと
森さんは他者が紹介した本を読むことがないそうだ。
その人のイメージが先入観として影響するから細心の注意を払っているそう。私とは反対のタイプ。私は知人から紹介された本は読むことにしている。これも縁だと思うからだ。私は自分が読みたい本は偏りがあると思っている。
放置して置いたら自分が読みたいジャンルしか読まないこと間違いなし。
もっと広い視野を持ちたいと思っているため、他者からの紹介本は読むことにしている。
作家という言葉を扱う職業の森さんは、繊細なのかもしれない。
この本のいたるところに、森さんが撮影したのであろうモノクロ写真が掲載されている。これがなかなかにいい味を出していることに気が付く。
寒い地方の広大な敷地の家に、奥様と長女、森さんの3人で暮らしているらしい。そこに犬(シェルティ)2匹。1匹が森さん担当らしい。24kg。太りすぎやろ?!と突っ込みたくなる。彼は森さんの小さい鉄道に乗るのが大好きらしい。森さんの犬と鉄道、模型に対する優しい愛情が感じられてほほえましい。
森さんの意見はちょっと変わってて冷静って思われるかもしれない。
でもこの写真からは家、鉄道、模型、そしてなにより愛犬に対するあったかい愛情を感じることができて心地いい。
寒い地域らしい。6月から9月までの4ヵ月間だけ庭園が木陰になる。この4ヵ月が黄金の季節だ。極寒の大自然の中で、隠居生活を丁寧に生きていくのも良いかもしれないなと思った次第である。
「日常のフローチャート」 森博嗣という一人の作家の毎日の思索を、生活を垣間見ることができる本。気になった人は手に取って読んでほしい。
森さんの文章が響く人はきっと何冊も読みたくなると思う。
人生について考える機会を与えてくれる、私には楽しい森さんとの時間だった。
この本が気になる方はこちら→ 森博嗣『日常のフローチャート』(Amazon)
健康のことも、心のことも、根っこにある不安は同じだと思う。私がこのブログで伝えたいことはお金の話ばかりじゃない理由|50代おひとり様がこのブログで伝えたいことにまとめている。
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③森博嗣「日常のフローチャート」を読んで|発想できない私に「遊べ」と教えてくれた
④森博嗣「日常のフローチャート」を読んで|幸せとは「楽しい時間」なのかもしれない(今読んでいます)

