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『私は私の望んだとおりの者になっている』|森博嗣の言葉から自分の人生を振り返る

50代になって、新しい扉が開いた話
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→第1回:森博嗣『お金の減らし方』を読んで|私は何にお金を使いたいのだろう
→第2回:『欲しいものがない』が一番つらい|50代、何にお金を使えばいいのか

「お金の減らし方」森博嗣 の本についていろいろ考えてきた。これが最後の記事である。

人間そのものの存在にとっても何を望むのかが超重要というお話。

なかなかに気付きが大きかったので、そのことを書いてみたい。

人は自分が望んだとおりの者になる

欲しいもの、したいことがあれば、それは必ず実現する。何故かというと、それを手に入れる方法、それを実現する方法を考え、そのために活動するからだ。少しでもそちらへ近づこうと努力をする。その過程で、無理ではないか、という不安を持つことも普通であるが、努力を続け、諦めなければ、少なくとも近づき続けるだろう。 もし、実現しなかったとしたら、それは「諦めよう」という道を選択したときである。これも、その希望のとおりになるはずだ。

私は私の望んだとおりの者になっている・・・らしい。これは意識していなかったけれど、そうかもしれないと思った。

とにかくブラック零細企業を辞めたくて辞めたくて仕方なかった。 ブラック零細企業は退職できた。

仕事するにあたって担保する保険が欲しくて資格を求めた。 国家資格を数個持てた。

資格試験の合格には時間がかかったものの、今なんとかやれている。

確かに望んだものが手に入ってるな。

これが私が思った人生だったのか。

・・・小さくうなづく私。そうだった部分はあるな。

確かにそうだ。

森さんはさらっと真実を書いてくる。

この観察眼、さすがである。

私の人生、思い起こしてみると・・

望んだ通りの者になる。そうかもしれないなと自分の人生を思い返してみる。

思い返してみて、どうやら私はひとかどの者になりたい、そう望んでいたようだ。

しかし悲しいかな、

私には、パッと見ただけでわかる才能、実力、能力がなかった。

自分で見渡してみても、どれもこれも人並み。運動神経は人並みより劣る気がする。

人より頭一つ出たものを見つけることができなかった。

あるのかもしれない。でも見つけることができなかった。

「あ、これなら・・」と思っても「そんなの大したことない。」と頭でっかちの自分が否定してきた。

だから、資格を取ってみた。

資格は公が認めた基準をクリアしている証拠になるし、独占業務を国家資格なら国が用意してくれる。

手っ取り早く自分の能力を担保してくれるもの、それが私にとっては「資格」だった。

本当はそんな資格取得に時間をかけるよりは、さっさと起業して稼げばいいんだろうけど。

それができる気がしないので、回り道をした。

敢えてした。

それでひとかどの者になれたとは、いい切れない。

でも、なんとか食べていけてるし、楽しく生活できている。

ということは、望んだとおりの者になったと言えるかもしれないと思う。

ここまで考えてみて

30代後半の自分が思い描いた毎日をある意味、過ごせていると私は気が付いた。

ほんとうだ、森さん、人は思った通りの人になる。確かに当たってるよ。

私はこの意見に反論する根拠を持ち合わせていない。

私が心底望む「次の物」は何だ?

みんな、そうなっているのだろうか?

確かに私は結婚を望んでいなかった。子供もそう望んでいなかったのかもしれない。

森さんじゃないけど、本当に望んできたらおそらく結婚していた。

チャンスがなかったわけじゃない。

でもしなかった。

なぜ?結婚していないんだろう、私。

本当の私は結婚したくなかった。ということだろう。

しいて言えば、結婚はしたくなかったけど子供だけはいてもよかったかも・・・と思うくらいかな。

これは何故だろう。まだ答えは出ていない。

私が次に望むものは何か? どうあっても欲しい、やりたい、知りたい私の強烈な望み。

何だろう。

何が欲しい?どうなっていきたい?どんな生活がしたい?

一人、自分と対話している自分がいた。

一人ひとりが考えていくべき問い「私は何が望みなのか?」

こういった、自分の内面と向き合うしか答えのない問いには、みんな、時間をとって考えるべきだと思う。

一番怖いのは、「こうしたい」と意図せず、無意識に時間が流れ去ることだ。

気が付けば、時間だけが過ぎてました・・・では哀しいと私は思う。

(それはそれで望んだ通りになっているといえるけどね)

今までも散々、気が付けば年だけ拾っていたことをやってきた私だ。

もう卒業したい。

あなたは、「あなたが望んだ者になっている」と言われて、どう思った?

私はドキッとした。

ちょっと反論したくなった。「いや、私はもっと大きなことを望んでいた!」って言いたい気持ちがあった。

でも思い返すと「望んだ者になる」は本当だと感じた。もっとできるかもしれないけれど望んだ通りにはなっているな、そんな感覚。

周りの人はどうか?仕事をしたい人はやっぱり仕事しているし、早めにのんびりしたい人はのんびりしてる気がする。その人でないとその人の人生はわからないけど、確かに思い通りになってる気がする。

もしくはなりつつある途上であると思う。

いつも文句を言ってるおばちゃん、あの人たちもそうやって文句を言う生活自体を望んでいたってことなのだろう。もっとやりたい何かをみつけることをしないことを選んだんだと思う。文句よりやりたいことがあったなら、文句言ってる暇なく望んだとおりになっていたのだろう。

そうか、そういうことか。

「私は私が望んだ者になっている」

じゃぁ 私はこれから何を望むのか。

それが重要ってことだ。

未来を導く鍵になる。

自分の好きなことをするために大事なこと

森さんは「できるだけ早くから、自分の生き方をデザインすることが、とても大事だと思っている。自分はどんな人生を歩むのか、という大方針を早くから持ったほうが良い。」

自分は望んだように生きていくのだから、当然、方針は超重要だ。

私は意図してなかったとしても、それはそれなりに意図しない望み通りになると思っている。

しかし、しっかり方針を決めて意図したほうが、私個人の満足度は高い。

私は満足度が高くなることが重要な人間だ。

方針もなく日和見主義でもそれはそれを望んだということになるけれど、

私は自分の意図を人生に反映したい。

ならば、望むものを明確にする必要がある。

人々の流れに身を任せて生きていく、と決めたのなら、それも良い。否、そもそも良い悪いの問題ではない。各自が勝手に、自分の好きなように生きればよろしい。そして、自分が思い描いていたとおりに生きることができれば、これこそ最高だろう。それが、自由というものの定義でもある。

そうだった。そもそも良い悪いじゃない。その人だけの人生だ。

自分がどうしたいかだけだ。

人間は本気で欲することができれば、そこに向かって努力するのがデフォルト。つまり自分がどうしたいかを決めれば実現に向かって動き出すのが人間だ。これは楽しい世界だと思うがいかがであろうか?

私はこの本で、お金の減らし方は、人間の生き方に繋がることを気付かされた。

たかがお金、されどお金だ。

このことについて、深く考えてみたい人はぜひこの本を読んでみてほしい。

「ここが響いた!」って部分、教えてくれたらジャンプして喜んでしまうかもしれない。(笑)

この本が気になる方はこちらから:森博嗣『お金の減らし方』(SB新書)

お金の話は、結局のところ「どう生きたいか」という話につながっている。このブログ全体の視点についてはお金の話ばかりじゃない理由|50代おひとり様がこのブログで伝えたいことに書いている。

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