「絆」という言葉に、縛られていないだろうか。
この本を読んで、そのことに初めて気づかされた。
「楽しくない」を怖れすぎている
「勉強ってつらいものだ」
「学校って楽しくないものだ」
・・・子供たちは実際学校に入ってこれらを実感することになる。「楽しくない」を極度に恐れる精神がある。
孤独の場合と同じだ。
孤独に悩むのと同様に、多くの子供が登校拒否に追い込まれるだろう。(中略)
なぜ綺麗な言葉を使ってごまかそうとするのだろうか。大人は少し考えなおしたほうがいい。もう少し素直になってもらいたい、と僕は思う。
そう、なんでもキラキラ見せる。
見せたがる。
楽しくないと価値がない。美しくないと価値がない。
子供たちがそう錯覚させられたとしても、責められない・・・
大人はもっと発信することに責任を持つべきである。
ブランコの話が刺さった
孤独に悩む人に、著者はこう言う。
ブランコを漕いでいるようなものだ。前に出たとき楽しく、後ろはさみしいという「揺動」である。ここで重要なことは、楽しさだけを大きくすることはできない、という点だ。それが波形の基本である。ただ、人間は、自分の心の状態を主観的にしか捉えられないので、ブランコの中心がどこにあるのか見誤って、自分は寂しい思いばかりしている、と勘違いすることがある。本当は同じように両方へ揺れているのに、そんなふうに感じてしまうわけだ。
僕が観察する限りでは、寂しさを怖れて、孤独にならないように無理ににぎやかさばかりを求めている人は、ブランコを漕がないで、前に行こう前に行こうと藻掻いている状態だ。こういう人のブランコは、ほぼ停まっているといってよい。だから大きな寂しさはないかもしれないけど、思い描いたような楽しさはいつまでも届かないだろう。
寂しい、孤独だ。
それはブランコが揺れているだけのことだ。
寂しい?
大いに結構。50代の私はそう思う。
孤独は創造を生む
創造を生み出すのも、やはり孤独なのである。そういう面では孤独は生産的だといえる。
芸術というのは、人間の最も醜いもの、最も虚しいもの、最も悲しいもの、そういったマイナスをプラスに変換する行為だといえる。これは、覚えておいて損はない。もし耐えられないような孤独のどん底に自分があると思ったら、絵を描いてみたり、詩を書いてみたり、そういった創作をぜひおすすめしたい。絵を見る、詩を読むそういった受け身の行為ではあまり効果がない。それではますます孤独感を強める危険さえある。しかし、自分で創り出す行為に時間を費やせば、気持ちの一部は必ず昇華される。もし、そういった才能を少しでも持っているなら、なんでも良いから試してみることをおすすめする。絵でも詩でも音楽でも演劇でもどんなものでもよい。アートであればその機能があるはずである。
ここには、大いに納得である。
人間の本能は創造することだ。
だから何かを創り出すことで、喜びを感じるものだと私は思う。
中でもアート、芸術は感情を昇華してくれる力が強いのだと、この本で気づかされた。
確かに料理を作ったりお菓子を焼いたり、それも一つの創作だ。
喜びを感じることができる。
それが芸術になると喜びとともに癒しが発生する。
苦しい、悲しい、憎いなど・・・そんな思いを昇華していく力。それが芸術。
これは新しい気づきだった。
芸術は鑑賞できる物質だが、それは作者の感情を物質を通して鑑賞してるのかもしれない。
「孤独」と「自由」 これって繋がっている
孤独を受け入れたい人は、自分の好きなようにすればいい。他人に迷惑をかけないこと、もしすでに家族があるなら、できるだけ家族の理解を得ることくらいしか、貴方を拘束するものはない、と考えていい。親類縁者がどう思うかとか、生まれ育った村のみんなが気にいなるとか、余計なことは考えないこと。それはたぶん、あなたの思い込みでしかない。自分で自分を縛っていることにまず気づくべきだろう。
同時に、自由になるのは何故なのか、自分は自由になって何がしたいのか、をもっと考えてほしい。というよりも、それがさきになければ自由になれない。自由というのは、自分が思い描いたものを目指すこと、自分の夢を実現することだからだ。もし、そういった目標がしっかり決まっていれば、あとは何の問題もない。たとえ、自由のために絆を切って、その結果、孤独になったとしても、それは必ず「楽しい孤独」「素敵な孤独」になるはずである。
著者は、自分ひとりになって、孤独とじっくり向き合い、自分が何者か考えることを勧めている。
自分がやりたいことをやれ。
そもそも自分のやりたいことを考える、自分と向き合う、自分と対話する、これらは一人、孤独でなければできないことだ。
自分としっかり対話してやりたいことを形にしていく、その過程で、「孤独」がなによりも美味になるのだろう。
他人に何かを求めても解決にはならない。参考になることはあっても答はない。
孤独死を恐れなくなった
最後に、孤独死について書かれている部分を引用しよう。
独居老人などが人知れず亡くなっていることを、「孤独死」と言ったりするが、これもやはり、家族愛や友情を宣伝するマスコミの命名であって、何が孤独なのか全く理解できない。
孤独は死とは無関係である。その亡くなった人は、死ぬ間際まで自分の好きなことをしていたのかもしれない。それを、「孤独だったのね」と勝手に決めつけるのは、余計なお世話というものだ。
(中略)
孤独死というのは、誰もがいつかは迎えるシーンだ。それを怖れる理由など全くない。結婚した人は、しばらくは近くに伴侶がいるかもしれないが、いずれは片方だけになる。あるいは、生きていても意識がない、認知が出来ない、といったことにもなる。心配しても、しなくても、みんな最後は孤独になれるのだ。
かくいう私も、独身なので先は「孤独死」か?!ってちょっと暗く思っていた。
著者が言う毒された考えを持っていたのだ。
たった一人で死んでいく、これはみんな同じ。
それに孤独であることが寂しいとか可哀そうとか、それを思うのは赤の他人であって、
その当の本人、その者の思考が反映されているにすぎない。
人間が一人で他界し、死後、遺体が発見されたとしても、その人が寂しかったのかどうかはわからない。
他人が思うだろうことなんかに縛られることは馬鹿らしい。
「絆」は「縄」のことだった
今、はやりの「絆」。
「絆」というのは、
家畜が逃げないように脚を縛っておく「縄」のことらしい。
今の時代、美談のように使われる「絆」
「絆」って結構、きついと思う。
明らかに自由の反対にある言葉だ。
家族や友人、それらに感謝することはもちろん必要だ。
だが生きる目的は、
自分の自由のため、それであるべきだと著者はいう。
私を含めて、
現代人は柵に縛られすぎているようだ。
「孤独」とともに「自由」であれ
もっと自由に、もっと楽しく、孤独の世界を開拓していきたいと思う1冊だった。
著者の主張にこそ美を感じた。私の価値観をはっきり言語化してくれた著者。
本との出会いに感謝。
孤独は人間には必要だ。
孤独であれ。
大きく頷く私だった。
【本の紹介】
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【このシリーズ全2話:孤独の価値】
①孤独が怖い? 50代おひとり様の私が「孤独は美しい」と思えるようになった話
②「絆」は家畜を縛る縄だった。森博嗣「孤独の価値」を読んで孤独死を恐れなくなった(今読んでいます)
こうした気づきも、私の中では一本の線でつながっている。
このブログ全体の考え方は
お金の話ばかりじゃない理由|50代おひとり様がこのブログで伝えたいこと
にまとめている。

