自分のためだけの夢、持っていますか?
私の夢と思っているかもしれないが、他人の夢を自分の夢と勘違いしていることが多い。自分の夢、これが意外とみんな持っていない。見たい夢と見せたい夢の話は前書いた私の「夢」は何だろう?|森博嗣『夢の叶え方を知っていますか』を読んで①。これに通じている。
始めは他者の夢、私もああなりたいからスタートして問題ない。でもずっとそのままだと夢から醒めるのも早い。
夢をいかに自分の夢として育てることができるか?
これが夢の価値を決めると森さんはいう。
自分の夢の達成度、自分で評価できる?
「自分のものとしての夢」について考えてみよう。
自分の夢なのだからどうなれば夢が実現したことになるのかも、自分でわかっていることになる。
自分で育てた夢であれば、同時にそれを評価する目が育つはずである。自分のものといったときには、つまりはこの評価眼も含まれる。どこに価値があるのか、どうなれば価値が高まるのか、を知っているということだ。
自分で評価できる、こうなったら審査員がOKを出す。
その基準を自分で設定できているということだ。これはとても大事だと思う。
自己満足できるかどうかのポイントだからだ。
「何をすれば良いのかわからない、自分のしていることがどの程度価値を有しているのか不安だ」という人は他者の評価を求めようとするかもしれない。すると、より他者に依存した「夢」になり、それ故に実現が難しくなる
と森さん。そりゃそうだろう。こうなったら私は満足するっていう基準を他者に任せるのだから、甚だ不安定なものになる。
絵を描いた、他人が褒めてくれない、イコール失敗ってことなのか?
違うだろう。
絵を描いた、自分はうまく描けたと思う、自己満足できた、他者はこう言ってくれた、そういう違う意見があるんだな、でも自分の評価は変わらない。これが自分で評価できてることになる。
私はいろいろ小さい夢になりうるものを試している。
それが価値あるのかどうか、まだわからない。
でも他者に評価を求めてはいない。他者に伝えたら、「単なる時間つぶしでは?」と一笑されて終わる気もする私の小さな一歩たちだ。
このままでいこう。このまま一人でやっていこう。
夢ってふわふわしてるし抽象的なものだ。だから、評価する、自己満足する段階でも他者の目が入る余地が多分にあると思う。多少は入ってしまうものかもしれない。社会的生き物の人間にはどうしてもそれは避けられない。でも、下駄を預けてしまうのは違うと思う。
大事なことだ。
気を付けたい。
森さんは言う。
是非、他者の目を排除して、つまり自分をリセットして、ピュアな夢を再認識してもらいたい。まずは、誰にも報告せず、自分一人の秘密にしても、それを成し遂げられるか、と考えてみよう。それはできないと感じたら、まだ不充分だということ。自分一人で内緒にしてもやりたい、と思うものが本物だ。
これは自分の夢か他者の夢かを、判断する基準になると私は思う。
私の思いつく夢で考えてみた。
ここで私の小さい夢たちで考えてみよう。
私は理想の家に住みたいという憧れを思っている。
これは私の夢だろうか?
私の夢だと思う。別に他人の評価はどうでも良いからだ。私が住みやすい間取りで、維持管理費のかからない高性能の家で私が好きなように暮らせる家。
他人はそれを見て何か評価をするかもしれないけれど、別にそれはあってもなくても良いことだ。
家を建てる前には多くの人に意見を求めるかもしれないけれど、それはあくまで「私の夢の家」をより確かなものにするためのものに過ぎない。
自分の理想の家、自分のやりたい暮らし。
これは私だけの老後の夢といえそうだ。
(私は自分に老後は考えていないけれど、敢えて老後と書いてみた)
このブログはどうだろう?
これこそ内緒にしている「夢」といえるかもしれない。
そもそも家族を含めて誰も知らない。私の友人にも「ブログ始めた」とは伝えても内容やどのブログかは伝えていない。
一人で秘密でやっている点はクリアしている。
じゃぁ、このブログがどうなると夢が実現したといえるのか?
私と同じ価値観を持つ人たちと繋がれたらそう言えるのかもしれない。このブログが収益化できたらそう言えるのかもしれない。1000記事かけたらそう言えるのかもしれない。
私の中ではまだ具体的な評価基準がない。
これは今後考えていくべきものなのだろう。
夢の実現を評価する。
そんなこと考えたことがなかったけれど、難しい問題だと気がついた。
日本全国を旅するという夢もある。行くことは一人でできる。
でもそれだけでは寂しい。やはり私なら文字化するだろう。
歴史が好きで史跡を訪ねてみた草むらの中に1300年前の国府があった|出雲国府跡を歩く【アーティストデート】尾道の坂道、なめんなよ。|猫と暮らしに出会った一人旅①【アーティストデート】。それをブログに書いた。誰かが読んでくれた。感想をくれた。
他人がリアクションしてくれるところまで行くことが一つの「夢」の評価になるかもしれない。
これは私一人では実現できない。となると自分一人だけの夢とはいえないのかもしれないな。
1000記事書くこと。これなら自分一人で実現できる夢といえそうだ。でも審査員は大きなOKはくれない気がする。
難しいな。
ブログ一つとっても不可解だ。
夢って気軽に使ってる単語だけれど、思った以上に奥が深い。
私は森さんの本で夢の深みに嵌った気がしている。
この本について
この本「夢の叶え方を知っていますか」が気になる方はこちらから。
私の「夢」は何だろう?|森博嗣『夢の叶え方を知っていますか』を読んで①
「老後の安心」は夢じゃなかった|森博嗣『夢の叶え方を知っていますか』を読んで②
夢の源泉は「楽しいと感じる力」|森博嗣『夢の叶え方を知っていますか』を読んで③
夢のヒントは子供時代にあった|森博嗣『夢の叶え方を知っていますか』を読んで④
お金の話ばかりじゃない理由|50代おひとり様がこのブログで伝えたいこと
「私は森さんの本で夢の深みに嵌った気がしている。」で終わっています。原文通り、追加・変更なし。
人はなぜ、そんなに群れたいのか?|『求めない練習』を読んで⑤
この「夢」の話をブログに当てはめて考えた記事はブログが読まれない|それでも私は「書き続けてみる」と決めたに書いた。
「夢」としてのブログを、仕事・挑戦との関係で整理した話はブログの定位置を決めた|仕事・50代の挑戦・ブログ、私の優先順位に書いた。

