さて、あなたには夢がありますか?
夢がないのはまずい状態だという。
今がある程度満足で夢がない人も「今のうちに次の夢を育てたほうが良い」というのが森さんの考え。
なにをやってもどうせ駄目だと諦めている人、この人は是非とも夢を探してほしいと言う。
諦めている人は夢を考える余裕と気力がないのがあかんという。
(これは若かりし日の私のことではないか?!あかんかったのはもちろん本人がわかっている。)
夢を少しずつでも良いから想像していこう。夢を創造していこう。夢は自分が縋るものになる。自分を助ける手段になる。ここを認識してほしいという。
これが森さんからの提案だ。
夢を思い出せ。 ヒントは子供時代だ!
「夢を想像せよって言っても、無いんですけど・・・」過去の私ならそう言ったかもしれない。
子供の時何をするのが好きだったか?そこにヒントがあるという。
何が好きだったかな??
昔過ぎて忘れた。
保育園が嫌すぎて途中で連れていくのを親が断念した。
幼稚園も嫌だった。私はどうやら一人でいる方が好きな子だったみたい。とにかく他人がいっぱいいる環境が嫌で仕方なかった。小学校ではさらに勉強が加わる。もう最悪だった。
・・・あかん、楽しいことより楽しくないことを思い出してしまった。(笑)
何が好きだったかな?思い出せ、私。
絵を描くことはそれなりに好きだった気がする。虫とか昆虫も好きだった。ザリガニを採って飼育していた。蝉を採ったり、カブトムシやクワガタムシを探して裏山に入ったこともあったな。裏山を探検したこともあった。
そうそう、画用紙に病院の間取りを書いて病院ごっこをした記憶もある。
ぬいぐるみでお家ごっこも楽しかった。
花を潰して染料に見立てて実験したこともあるな。
カセットテープに作詞作曲した曲を自分で歌って録音したこともあった。声が録音できるのが不思議で堪らなかった。
今の私が思う以上に、子供の時の私は自然に遊び、自分で作ることが好きだったようだ。
よく兄弟で遊んでいたっけ。
屋根裏部屋に侵入して古いタンスを開けてみたり、屋根の上を走ってみたり。なかなかアクティブだったよ。私!(小学校に入学する前だったかな?よく落ちなかったものだ。)
多分思い出せばまだまだある。
打って変わって楽しくなってきた。私の子供時代、思った以上に楽しかったのかも。そうとうやんちゃだった。(笑)
これらが50代の私の夢の源になりえるんだな。作り出すことが良い気がする。
何を作り出すのかがまだわからない。
「何が楽しい?何がしたい?」自分に暇があれば「ぼぉっ」と聞いてみよう。
さっき少し子供のころを思い出したけど、意外なところから夢が現れるかもしれない。
それくらい50代、子供のころのことを忘れているよ。
夢を見つけた。でも、私は動けるのか?
夢を見つけるにしても実現するにしても、自分という箱から夢を炙り出し、自分という物体を動かさないと始まらない。
なんとか夢の源らしきものは見つかったとしよう。
夢を見つけたところで、私という物体はちゃんと動くのだろうか?
あなたという物体は思うように動いてくれるだろうか?
やる気が出ない、腰が重い、頭が痛い、面倒だ・・・あれこれ言って動かないことはないだろうか?
私はしょっちゅうである。まさに常習犯だ。
言い訳を考えさせると超有能な私の脳。
でもこの言い訳「やらなくてはならない」と口で言っているだけで、実は今は「やらなくてもどうにかなる」と理解しているのが本音らしい。この指摘にはぐぅの音もでない。
確かにそうだ。やらないと100万支払うことになると言われると、秒で取り掛かる私がいる。
精神的な強い弱いというのは、「やらなければどうなるのか」という理屈の信憑性であり、その理屈をどこまで理解しているのか、というだけの話である。
未来を思い描いて、予測することをしているか、それとも予測を面倒でしないのかの違いというのだ。
やらなければどうなるか、これを予測し理解せよ。
それで怠慢な私は動き始めるのだろうか?
理屈はここまで。怠慢な私よ、とにかくやれ!
私の怠慢は相当なものだと思う。王様級だ。
後回しの術はとうに会得している。こちらもプロ級。
こればっかりしていると、この行動自体がデフォルトになるから恐ろしい。
「やる気なし」状態でだらだら数時間、その後やっと始める。これはあかん時間の使い方だ。しかも精神衛生上、よろしくない。
これがデフォルト、勘弁してほしい。
森さんに言わせると「とにかくやる」ということに尽きるらしい。
簡単に言えば、「とにかくやる」ということである。自分でいろいろ言い訳をすることになるだろうけど、「つべこべ言わずに」と押さえ込む。何でもいいから、とにかくやりなさい、と自分をけしかけるのだ。
森さんですらこの有様だ。況や私をや、である。
やるしかない。道一つだ。
夢に向かって動ける人の心理は?自己満足、最強説。
「あんなに夢中になれることがあっていいな。僕には時間も金もない。毎日仕事で疲れててそんなこと考える余裕もない。好きなことがある人は熱中できて羨ましい」
こんな風に考えたことはない?
私はいつもそう思っていた。口に指を入れて物欲しそうに彼らを見ていた。
好きだから夢中になれる?
夢中になれる人が羨ましい?
そんなに甘くないって森さんは指摘する。
夢に向かって進む道は面倒なことも実際多いのだ。けっして「好き」だけで進められるものではない。(中略)個々の作業は疲れるし、金はかかる。なにもせずにごろごろ寝ている方が楽なのはまちがいないのだ。
好きでも夢への道は平たんではない。
・・・確かに納得だ。ポカーンと口を開けてテレビをごろごろ見ている方が楽なのはそうだろう。じゃぁ、夢の道を進むモチベーションって何だろう?
なのになぜ、彼らは夢に向かって進むことができるのか?
夢に向かって進む人と進めない人との違いは何?
それは夢への道を「やったらやっただけの見返りが必ずある」ことを知っているからだ。この見返りというのは、結局は自己満足である。もっと簡単に言えば「楽しめる」のである。
この見返りを知っているかどうかが分かれ道といえる。
別の言い方をすれば、自己満足を感じる成功体験をいかに積み上げていくかとも言えそうだ。
なんでもいい。努力して達成できれば、審査員が認めてくれて気持ちよくなる。
この気持ちよさを繰り返して自分に覚えさせることだ。
よし、できた、OK もらえた、気持ちいい、楽しかった、このルーティンをいかに数多く回せるか。小さくていい、この繰り返しだ。
これは子供のころのほうが簡単だと思う。
審査員は年齢を重ねると厳しくなる(ような気がする)からだ。
この楽しさ、快感を知れば夢を持ち、前に歩きだせる。
これを知らないと自分の怠慢に負けてしまう。
負けるな、私。
私は君を応援しているよ。
自分を褒めるのは結局自分
自分を宥めすかして、夢の道を進んでいく。
小さい成功、挫折を繰り返しながら進んでいく。
とにかく動いて進んでいく。
その先に自己満足という最上のプレゼントが待っている。
これが夢への道筋といえる。
自分の目は、一般的にやはり厳しくなるだろう。自分は誤魔化すことができない。すべてを裏の裏まで知っているのだから、本当に自分に褒めてもらえるものは、最高に価値があるといえるはずだ。
よくご存知で。自分に認めてもらえること、これほんとに難問だわ。
確かに厳しい。
私の中の自分はちょっとやそっとの行動では、褒めてくれない。もっとこうすれば良かったという指摘ばかりだ。
でも私は、そんな自分に「やればできる」ってところをみせてやりたい。
それは大きな自己満足だろうし、私自身が最高に楽しいだろう。
相手は強敵だ。日々考えることも「やればできる」に続く道と私は信じている。
この本について
この本「夢の叶え方を知っていますか」が気になる方はこちらから。
私の「夢」は何だろう?|森博嗣『夢の叶え方を知っていますか』を読んで①
「老後の安心」は夢じゃなかった|森博嗣『夢の叶え方を知っていますか』を読んで②
夢の源泉は「楽しいと感じる力」|森博嗣『夢の叶え方を知っていますか』を読んで③
運は貯まる。「運転者」が教えてくれた、上機嫌と努力の本当の意味
お金の話ばかりじゃない理由|50代おひとり様がこのブログで伝えたいこと
「相手は強敵だ。日々考えることも「やればできる」に続く道と私は信じている。」で終わっています。原文通り、追加・変更なし。

