「僕には夢がある!」とは、ドラマなんかで言われる台詞だ。
漫画のテーマにもなりやすい。
夢に向かって仲間と団結して叶える、よくあるストーリーだ。
あんなにも『夢・憧れ』に向かって邁進する作品が人気なのは、本能でそうすることが生きている意味って分かってるのかもしれない。
夢を夢で終わらせない。
夢見る力。
夢って言葉はちょっとワクワクする、けれども夢だけにふわぁっとしている。ピンク色のイメージ。
今回は森さんと一緒に夢について考えてみたい。
夢をかなえる2つの条件、当たり前すぎて忘れてしまう
あなたには夢がありますか?
その夢は叶いましたか?
これらの問は本質的な問いだと思う。そして人生の目標に関する問いともいえる。
大事な問いだ。
なのに、こういう話って仲のいい友人ともしたことがない。本質すぎて聞くと不躾すぎ。だから遠慮して聞けてないのか?
私は厚かましいので、今度会ったら聞いてみよう。友よ、許してくれ。(笑)
夢を叶えるためには2つの条件があると森さんは言う。
1つは、自分の夢をわかっていること、認識していること。
何が欲しくてどうなることが夢なのか。これは「こうなったらいいなぁ・・」と柔らかく思う程度ではダメ。自分の一生をかけて実現する予定表、計画表まで持っていることが条件だという。難しいよ、これ。そこまで普通ないでしょ?
2つめは、その計画表を実行できていること。
そりゃそうだよね。実行できてなかったら絵に描いた餅。ずっと絵にかいたままで実際に餅ができあがることはない。もち米を仕入れて蒸して搗かなきゃ餅はできない。
当然と言えば当然か。
この2つが揃って夢が叶う土俵にのるらしい。
私の夢が実現した感覚がないのはこの2つができていないってことなのか?土俵にも乗ってないかもしれない、私・・・。
夢には2種類ある?!私の2種類の夢は何?
夢に種類があるとは思いつかなかった。
夢って一言で言っても、それを考える人の年齢、嗜好によって違うものになる。
ちょっと驚いた。
若い人に夢は何ですか?と聞く場合、主になりたい職業は何ですか?ってこと。
職業的な夢は年齢が若い人向けの夢といえるだろう。
それともうひとつは「趣味」的な夢。こちらは、年齢はあまり関係ない。いつでも持つことができる夢だ。
私の若いときの夢は何だったかな?
私には職業的な夢がなかった。別に特技があるわけでもなく、なにかにずば抜けて興味があるわけでもなかった。ただ、白衣(看護師ではなく)に憧れていた。それで考えた。
「薬剤師」。
私は高校の時、手に職をつけた専門家になりたかった、白衣を着た仕事がしたい、給与が良い仕事がしたい、それで思いついたのが「薬剤師」だった。しかし残念なことに私は理系科目が苦手であった。それで頭を捻って「栄養士」を閃いた。
「栄養士」
栄養士は化学が必要で、立ち位置としては理系と文系の中間だった。
高校生の私の心境としては、「給食のおばさん?なんだかなぁ。なんかワクワクしない」という気持ちがあったし、料理も好きじゃなかった。だから100%絶対ではなく、実現性と専門性で妥協すれば栄養士ってくらいの気持ちだ。我ながらなんとも弱いモチベーション。仕方なく選んだのが栄養士だった・・正直、その程度の思いだけだった。
そうだ、私は学校からの「将来の夢」アンケートで栄養士と書いた記憶がある。
(すっかり忘れていたけれど)
結局、大学は栄養士免許と管理栄養士受験資格が得られる4年制大学に進学した。
あなたの高校時代の夢、職業的夢って何だっただろうか?
何もなかった人もいるだろう。いや、それが普通じゃないか?
私の友人は看護師を夢見ていた。そして専門学校に進学したがあまりの厳しさに中退し介護士になっている。
職業的夢ってわからなくて当たり前だし、方向転換だって普通だよと今ならわかる。
当時の私は「なりたい職業がない!!」って焦って栄養士管理栄養士の私が20年続ける、食で心がけている3つのことを選択したけど、そう焦る必要もなかったかもと思う。でも大学進学時に人文系以外だったら選ばないとそっちに進めない制度が日本だからやっぱり仕方なかったのかもね。医者なら医学部、先生なら教育学部、大学で将来がある程度固定されてしまうからな。
もう一つの趣味的な夢は何かある?
これは何でもありの世界だ。
昔から、「快適な家でのんびり野菜を育て、丁寧に犬猫と暮らしたい」っていう憧れ生活プランはあったけど、これが趣味的な夢なのだろうか?
50代の私は、職業的な夢はもういいとして、こっちの夢を掘り下げたい。まだ夢の形がつかめない。どういうことを、どういうものを趣味的夢って言うのだろう。
物質的なものとしては「快適な家」、それプラス大好きなペットたち。どうやらストレスフリーな生活を夢見ているといえそうだ。野菜を自分で作り、丁寧に料理しておいしく食べる。ゆったりして「丁寧」な生活。
でもこれって憧れの生活スタイルだよね?趣味的夢とは言えない気がする。どうだろう?
この本を読み終わる頃には、答えが出ているだろうか?
私の夢は誰の夢?
夢はどう思い描こうと本人の自由だ。何にも制約は受けない。だって夢だもん。それくらい好きにさせてよ・・・
私は漠然とこう思っていた。
しかしである。そうも言ってられないのが人間の「夢」らしい。森さんの指摘で私は何度も「確かに・・・」と頷いていた。
私は夢という言葉を、イメージとして捉えているみたいだ。いかに私が具体的かつ計画的に夢を考えてこなかったのかが改めて気づかされた。
それほど夢って真剣に考えないと、思考でとらえにくいものらしい。
これがわかっただけでも読んでよかった、森博嗣さん。
私が頷いた箇所、その1
職業的夢、それが仕事となると他者との競争が要素となる。他人を打ち負かす必要が夢を実現する過程で生じてくる。スポーツ系、アイドル系は勿論、憧れの会社に入社できた後も競争は普通にある。
確かにこれはある。仕事にはお金が数字でついてくるから競争になりやすい。
夢に数字かぁ。夢が一気に現実的世界に引き落とされた感覚。
私が頷いた箇所、その2
夢は2種類とも「他者に認められてはじめて実現する」ものが多いということ。これには気を付けたい。
他人(家族を含む)に「すごいね」「うまいね」「よくやったね」と認められて初めてそれを含めて実現する夢。これが山のようにあるというのだ。
「エベレストに登頂したい」この夢の後ろには他者に賞賛されたいという気持ちがないか?「憧れの○○会社に入社したい」この夢の後ろには家族の喜ぶ顔がないか?そういうことだろう。確かにこういう部分はあるかもしれないな。
「夢」というのは、自分の自由の追求である。しかし、それははたして、自分が「見たい夢」なのか、それとも人に「見せたい夢」なのか、一度じっくり考えてみることをおすすめする。
他者に見せたい夢を自分の夢と勘違いすると、厳しいだろう。
家族が一流企業を望んだから頑張って入った、家族を喜ばせるために頑張った。凄いことだけど実際入社後しんどいことになるのは自分だし、その時点で「あれ?何かおかしい」と気づくことになるのだろう。夢がかなったはず、でもなんで私は嬉しくないの?ってね。
これは要注意だ。他人ごとではない。私自身が注意したい。個人的な夢すら他者の眼を気にする私。他人に一角の人物としてみられたいっていう欲求は、多分ある。これが夢と交じり合うと勘違いするかもしれない。
私は「兜の緒を締めよ」と自分に言い聞かせた。
夢の実現方法はこれだ!
夢について考えてきた。
そうやっていろいろ考えておぼろげな夢が見えてきたとしよう。その夢はどうやったら叶えられるのだろう?
夢が叶わない、現実は厳しいと思っている人は多い。
そんなシビアな現実世界の中で、夢を叶える方法はあるのだろうか?
あればぜひ教えてくれと思うのが人情だ。
以下、森さんの意見である。
今日、あなたは夢のために、何をしたか?明日は何をするのか?いつもそれを自分に問うことが、少なくとも僕が言える一番の「夢実現の方法論」である。
夢の実現は、誠に地味なのだ。
日々の積み重ね、自分への問いかけを忘れるなということだろう。
そして「夢」そのものを忘れるなということだろう。
私の経験では、強烈な夢でないと日々の忙しさと煩雑さで夢自体を忘れてしまうことがある。前述したが、私が真剣に自分の夢を掘り下げていないことがその原因だろう。
しかし一般の人は、だいたい私と同じような感覚だと思う。
だから夢を忘れないこと。
そして自分のためだけの自己満足のためだけの強い「夢」を持ちたい、持てたらいいと考えている。
私の「本当に実現したい夢」「私の自己満足がマックスになる夢」とは何だろう?
答えは簡単には出てこない。
今回のように「夢」について詳しく考えた後ではなおさらだ。
9月の透けるような青空がまぶしかった。
この本について
この本「夢の叶え方を知っていますか」が気になる方はこちらから。
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