私はお腹も満たされ、足も元気になり尾道浪漫珈琲を後にした。
お会計 2222円。2が4つ。給仕をしてくれた女性が会計をしてくれた。
ちょっと聞いてみた。このお店開店して何年くらい?って。
数年前に35周年を記念したから40年くらいですかね?とのこと。
昭和かぁ・・・どうりでレトロなわけだ。お店からレトロ感が溢れているものね。それが尾道とマッチしている。古い旅館も見かけた。廃業してる旅館もあったけど・・・
尾道商工会議所記念館 商店街の中に佇んでいた


浪漫珈琲と同じ商店街の並びに商工会議所記念館は建っていた。これまたなんともレトロな建物だ。入館料は無料。これは嬉しい。
建物は昭和レトロを飛び越えて大正レトロだった。古い様式のようだ。(現建物は復元改修したもの)尾道は古い建物がよく似合う。

私は最後の観光地に勇んで足を踏み入れた。主たる展示は1階。2階は階段状議場。
大きくないので疲労した私にはちょうど良かった。
昔の尾道は凄すぎた。私はここにきて驚いた
私はここで改めて知ったことがある。昔の尾道を舐めてはいけない。相当栄えていたようだ。
商工会議所自体、広島県では広島市の次、2番目に開所された。全国でも30番目の速さだ。
県内では福山を抑えての2番目だった。これが凄い。
そしてさらに住友銀行の発祥の地であったという。
あの住友銀行である。今は三井住友銀行となっているあのメガバンクだ。これは正直驚いた。地方銀行ではない。メガバンクである。
当時はよく言われていたという。「政治は広島、経済は尾道」と。
やはり瀬戸内海という海に面している利点は計り知れなかったようだ。現代のように鉄道、自動車がない時代、そりゃ船は物が大量に運べるので便利だったろう。
「尾道、強し!」そんな時代が長く続いていた様子がわかる。

尾道の町に「ガタンガタン」が響いていた
もともと海運で栄えていた尾道。
室町時代には明の船が寄港。そりゃ栄えるわな。何かと足利氏にかわいがってもらっている気がするぞ、尾道。
江戸時代には北前船も立ち寄り、これまた大賑わいだったらしい。そして、近代になれば戦前、戦中、戦後と造船で大きく発展したのだろう。人が集まり港として発展していくと、その力である程度は継続的に栄えていけたのだと私は感じた。過去の尾道のまぶしい歴史が私の前で花開いた。
そりゃ、寺も建つわな、みんな相当海運で儲けていたんだろうから・・・改めて今日歩いた寺々を思い出す私だった。
尾道、栄枯盛衰。ここから再出発なるか?
そんな尾道も昭和から平成へと時代が進んでいくにつれ、だんだん寂しい状態になったようだ。そもそも船は作られなくなり、坂道の多い場所からは人が消えていった。
過疎化が進んでいるのは地方都市ではよくあることだが、そもそも平野が少ない尾道では致命的に思われた。
そんな尾道だけど私はこの町の未来を諦めない。
朝一番、尾道に降り立って私は気が付いた。尾道の造船所からガタンガタンと大きな金属を打つ音が聞こえてきたのだ。
過去2回来たことがあると以前書いた。その時もガタンガタン鳴っていたのか記憶にない。でも今回は一番に気が付いた。
今、国が造船業を盛り上げようと予算を割いてバックアップを始めていることを私は知っているからだ。造船。良いんじゃない?
あの音で私は思ったわけだ。
あのガタンガタンが尾道の復活の狼煙に思えてならない。
私は今回尾道を歩き回った。急こう配の寺では高齢の方が掃除をされているのを何回も目にした。きまって高齢者だった。レトロな昔の飲み屋街では古いスナックが数ヵ所壊されていた。
高齢者が多く、それでも古いものから新しいものへ変化しようとする町、尾道。
昔がなくなるのは寂しい気がするけれど、新しい尾道が楽しみでもある。
海に面した良港であることに変わりはあるまい。造船業のガタンガタンとともに町全体が復活してくれたら良いな。

私は暮れていく街並みを電車の中から眺めつつ、ぼんやりそんなことを思っていた。
尾道の坂道、なめんなよ。|猫と暮らしに出会った一人旅①【アーティストデート】
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「諦める」は、逃げることじゃない|森博嗣『諦めの価値』を読んで①
この一人旅の全体像は、【尾道ひとり旅】50代女性が実際に歩いて感じたこと|浄土寺・尾道浪漫珈琲・造船所にまとめた。

