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草むらの中に1300年前の国府があった|出雲国府跡を歩く【アーティストデート】

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私は今日、出雲の国、国府跡地に行ってきた。

前々から行って見たかったからだ。なぜか。

私は日本の源となった飛鳥、奈良時代に興味がある。そしてあの時代に、はや、全国に国府なるものを作ったという事実。これだけで私が足を運ぶ十分な理由だ。

今回は温泉に入らないため時間的な余裕ができた。そのため行って見たのである。

そこには出雲の風土記にも出てくる昔からあった神社と、かつて大きな力を持っていたであろう出雲国の国府があった。

あなたは、国府はご存じだろうか。

国府とは奈良時代に当時の各国に置かれた行政機関のことだ。その国のまさに中心的役割を果たしていた。中央から国司が派遣されてきて、その国を統治した。中央集権国家の礎であったのだ。

私が思うに今の行政とは違って、当時の国府は強力な統治力を与えられていた。農民たちにとって「こわーい国司様」だったと想像している。

1300年以上前のことだ。

その跡地に行ってみた。

そこには神社があった

まず一番に目に入るのは跡地よりも神社だった。

その名も「六所神社」(ろくしょじんじゃ)。神様6柱を祭っているから六所神社と呼ばれているらしい。この神社の東隣に国府の中心地があったと考えられている。

場所は島根・神魂神社。出雲大社より古い、凜として美しい日本の母の社、真名井神社からすぐ。

田んぼと民家に囲まれてひっそり佇んでいる。

見ると少し荒れた印象だ。宮司さんもいない。日曜に訪れたのであるが、参拝客がすくないためなのか私には少し放置されているようにも見えた。雑草も生えていてちょっと寂しい。

奈良時代には国府の横で栄えた神社だと思われた。それは説明書きにもしっかりかかれていた。

神社にも時とともに栄枯盛衰がある。

国府跡、広いよ

神社をでてすぐ横に、国府の中心地と考えられている建物の跡がみつかっている。

柱の跡に朱色の柱が立ててあった。

そしてさらに奥に目をやると全体の見取り図と、奥に大きな建物の跡地がみえた。

遠くにポツンポツンと立っているのは柱である。大きな建物が奥に2つ建っていたとかんがえられている。

ここに人がいた

季節柄(9月上旬)草が茂っていた。近くには「マムシ注意」の看板もあり、これ以上中に進むことはできなかった。

草の中に国府跡。

今では訪れる人もいない。

それでも、柱跡がみつかり溝も作られていたらしいことがわかっている。そして1300年以上経った今でも古代の人と一緒の場所に立つことができる。

これは喜ばしいことだ。

ふと目を閉じてみた。

9月の風、草の騒めきとともに、政務にいそしむ役人や古代の人々が行きかう雑踏を感じた。草がはえていようが、整備されてなかろうが、ここが出雲の国の国府だった。その事実は変わるまい。

出雲へはよく行く

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