海からすぐそこの古刹 浄土寺
職員さんの話の通りだ。道がカーブしてすぐそこに浄土寺があった。

JRの線路の下をくぐるともう浄土寺だ。幹線道路からもう階段が始まっている。
どんだけ山がちかいんだ。
線路の下の道をくぐり階段を上る私。寺の山門の前で振り返って海を見た。

・・・近い。線路から数十メートルくらいか?
今まで歩いたどの寺よりも海が近かった。
この近さだ。尊氏はこの立地の良さも加味したのではないか?と感じずにはいられない。
そして彼は来たと、私は寺から海を見て直感した。
尊氏はあの海から歩いてすぐのこの寺に来た。馬に乗る必要もないくらい近い。
この寺は海から最も近い寺であった。
尊氏は何を思って海からここまで来たのだろう?私も今、ここに立ってるよ。尊氏さん。
鳩が盛大にお出迎え

浄土寺はどうしたわけか鳩が多い。
この鳩にも何かいわれがありそうだけど。
浄土寺の本殿と塔が国宝だった。本殿に上がらせてもらいご本尊に祈りをささげた。

そのあと塔へ。

1329年(鎌倉時代)に再建とある。その後焼けることなく現在まで残っているってことだろう。
?!
であればである。尊氏はこの塔を見たことになる。
1336年が湊川の戦いだったはず。彼は1336年に尾道に立ち寄っていることになる。
この塔は私を見下ろしているように、尊氏も見下ろしていたことになる。
私はタイムスリップした。
九州から山陽を上っていく尊氏達。尊氏は海路、弟の直義は陸路、二手に分かれて京都を目指したと吉川太平記にはあった記憶している。ここ浄土寺で弟と尊氏たちは合流し、戦勝を祈念したのであろう。私の想像は膨らんだ。
尊氏は尾道の人に愛されていたのか?
そういえば、歴史博物館の人が言っていた。
尊氏公に従って、尾道の漁師たちも船を出し水軍に加わったという。
その漁師たちが尊氏公をまつる祭りを始め、今も2年に一度その祭りは漁師の末裔たちによって続けられているという。
尾道の人たちにとって尊氏は慕う存在であり、彼が立ち寄ったことが誇りでもあるようだ。職員さんの話っぷりからそう感じた。
尊氏は天皇と闘ったとされ、明治時代は嫌われたらしいけれど尾道では、そんななかでも尊氏所縁の品が多く残っているという。守ったのかもしれない。尾道の人たちが。
慕われていた証拠だろう。
祭りは今も続いている。尊氏も喜んでいるだろうというと女性の職員さんは嬉しそうに笑っていた。
生きた歴史を感じて私も嬉しくなった。尊氏もきっと喜んでいる。
尾道の坂道、なめんなよ。|猫と暮らしに出会った一人旅①【アーティストデート】
草むらの中に1300年前の国府があった|出雲国府跡を歩く【アーティストデート】
吉川英治『新・太平記』を読んで。私はなぜ楠木正成に惹かれたのか
この一人旅の全体像は、【尾道ひとり旅】50代女性が実際に歩いて感じたこと|浄土寺・尾道浪漫珈琲・造船所にまとめた。
尊氏ゆかりのお寺は、岡山の備中松山にもあった。頼久寺(高梁市)の遠州の庭園|鶴亀の庭と砂の波紋に圧倒された|50代一人旅⑤

