石火矢町ふるさと村の武家屋敷へ|駐車場と、お殿様の御根小屋
備中松山城から下山、車に乗り換え次に向かうは武家屋敷だ。

現在では「石火矢町ふるさと村」と呼ばれているけれど、江戸時代には上ノ中丁と言われお殿様に仕える武士たちが住んでいた。
お殿様は普段は臥牛山(がぎゅうざん)のふもとにあった「御根小屋(おねごや)」(御殿屋敷)で政務していたようだ。残念ながら今は御根小屋はなく、跡地には高等学校が建っている。
だから御根小屋に近いほうが、身分が高い武士が住んでいたらしい。(武家屋敷職員談)
ふるさと村用の駐車場(無料)に停めて、目の前が武家屋敷・旧折井家だ。入館は、備中松山城で買った共通券で入れる。開館は10時から16時まで(2026年10月時点・公式の案内より)。

旧折井家|当時のままの玄関・台所・美しい庭
あまり改築されてなく当時のままを留めている折井家。

きれいな玄関まわり。左手が玄関、右手が土間への入り口だ。
人形が数体置かれていて、当時の様子を演出していた。(人形、結構怖いんですけど・・・)玄関の男性の人形はお辞儀をする、動くのでびっくりだ。

台所の様子。手前にはご飯を炊く場所があり、奥には大きな甕。水をためておくものだろう。


少し暗めの部屋を抜けると目が覚めるような美しい庭がある。今日は風が吹いて誠に心地よかった。


離れのお風呂と井戸|当時の暮らしを垣間見る
離れにはお風呂もある。

私一人は十分に入れる大きさだった。深い。

ここで水を汲んでお風呂に入れていた。井戸と風呂の場所が近い。
綺麗な庭で四季折々の自然を楽しんでいた当時の人の生活を垣間見た気がした。当時の武士たちは土間のある家で食事を作り、離れの風呂に入り、勉学に励み殿様のお呼びにはせ参じていたのだろう。その質素な暮らしぶりをこの家から感じることができた。
旧埴原家|朱色の壁と簡素な庭、さんじゅーろーあしあと館
折井家の後は4軒ほど先にある武家屋敷・旧埴原家(きゅうはいばらけ)だ。この地区で公開されている武家屋敷はこの2つのみ。・・・他に武家屋敷が現存するのかどうかは不明だ。


こちらには人形はなかった。


先ほどの屋敷に比べ、庭は簡素だった。風呂も残っていない。
朱色の壁が印象的な屋敷だった。
この埴原家にはさんじゅーろーあしあと館が併設されている。城主の今までをまとめた動画(10分くらいだったと思う)を見ることができる。愛くるしい姿にうっとりしてしまう。その動画で知ったのであるが、猫城主さんじゅーろーにはもともと名前がなかった。そこで備中松山藩出身の新選組7番隊組長、「谷三十郎」から名をもらったらしい。備中松山は幕府方だ。新選組の幹部になった藩士がいることを知った。
さんじゅーろーの動画に癒され、ちゃっかりグッズも購入して満足の私。買ったのは、さんじゅーろーのシールセット(280円)を3セットと、ピンバッジ(770円)を1個。
武家屋敷の見学時間は?|2軒で30〜45分
2つの武家屋敷を見たわけだが、所要時間は2つゆっくり見て30分から45分かかる。興味ない人であれば15分で終わってしまう。私は先に見た折井家が印象に残った。美しい庭、風呂や井戸、資料館もあって充実していた。資料館には高梁市に伝わる甲冑の展示があった。折井家は当時の生活の音が聞こえてくるような、よくわかる展示だった。
次は頼久寺だ。

私は武家屋敷を出て、当時の人が歩いたであろう通りを振り返ってみた。
今にも武士たちが現れそうな趣だった。
そして前を向いて頼久寺を目指したのだった。
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こうした体験も、私の中では一本の線でつながっている。その繋がりについてはお金の話ばかりじゃない理由|50代おひとり様がこのブログで伝えたいことに書いている。

