旅の終わりへ|昼食はパン、時間を節約して観光
私の備中松山の旅も終わりに近づいている。
時計は14時を回った。
私は軽く軽食を備中松山城 黒門跡前のベンチで食べただけ。
後は移動し観光し目まぐるしく動いている。
今回は昼食はパンで終わり。お店に入る時間は節約だ。10月も下旬となると日が落ちるのが早い。車での移動時間を考えると15時過ぎには町を出たい考えである。
山田方谷記念館と高梁市郷土資料館|入館料と共通券
私が最後に訪れたのは「山田方谷記念館」と「高梁市郷土資料館」だ。この2つの建物は隣接しているためまとめて回ることができる。便利だね。
山田方谷記念館・入館料500円 高梁市郷土資料館・入館料400円である(2026年10月時点)。私は共通券1500円で入場した。この共通券は、備中松山城・旧折井家・旧埴原家・頼久寺・この2つの館がセットになっている。
山田方谷記念館|30分の動画で、方谷の生涯を知る
まずは「山田方谷記念館」。私はここで方谷の偉大さを目の当たりにすることになる。

まず30分の動画を見た。これで彼の人生を追っていく。わかりやすくまとまっていた。視聴をおすすめする。
私は方谷は江戸時代中期あたりの人くらいの認識だった。違っていた。彼は幕末の人だった。激動のあの時代を生き抜いた人だった。備中松山が誇る偉人ってことは知っていた。意外と現代に近い時代の人だったのだ。清廉潔白な生きざまからもっと古い人と誤解していたな。私。
生まれたときから学問に勤しみ、神童と言われるくらい賢かった。
母親が熱心だったらしい。親の影響は大きいよねと一人頷く。
早くに両親を病で亡くし、それでも勉学に励み頭角を現していく方谷。有名なのは備中松山藩の財政を7、8年で立て直し黒字化したことだろう。その力量たるや私も欲しいと思うくらいの実行力だった。方谷は私が実際に手で触れた石垣の前を通って、備中松山城にも足を運んだことだろう。その後、時の殿様 板倉勝静(かつきよ)が江戸幕府に登用され老中として江戸に赴くとき、方谷もお供している。
備中松山は幕府方で時代の流れに翻弄されることになる。
方谷はとにかく、勉強熱心。そして机上で終わらせずに政治でがっちり結果を残した。これが凄い。頭でっかちではなく、とことん実務家だった。このあたりは吉田松陰と似ている。方谷はあの幕末に老中を支えていたのだからその心労は大きかったろう。それでも最後まで岡山県で後進の教育に心血を注いでいた。この人は最期まで立派な人だった。私は頭が下がる思いだった。
記念館には方谷ゆかりの硯や書など展示されていた。私は疲れていたのか写真を全く撮っていなかった。3、4歳で書いた立派な漢字の書が展示されていた。方谷さんは字が上手い。あの年代の人の特徴なのか達筆である。
高梁市郷土資料館|元小学校の建物と、昭和の品々
次はお隣「高梁市郷土資料館」だ。

所狭しと昔の物たちが展示されていた。建物自体も古く昔は小学校の校舎として利用されたものらしい。レトロな佇まいが美しかった。

2階の展示室。もともとは小学校の講堂として利用されていた部屋。広くて天井が高い。
目を見張ったのは天井。匠の技が光っていた。私は品物より天井に注目してしまった。(笑)



かき氷機。昔はこんなにしっかりした作りだった。プラスチック製ではない。金属製だ。氷はかなり固いからこうなる。


時計はもともと小学校で使われてたものも多いらしい。

美しいフォルムの蓄音機。
驚いたのは、私が子供のころ使っていた黒電話や公衆電話も古い物として展示されていたことだ。確かに今の子供たちは使ったことないよね?
時代の流れを感じてしまった。
この建物も60年くらい前までは現役の小学校だった。時々やたらに詳しい人が来ているなと思うと「わしが最後の卒業生だ」って人だったりするみたい。70代80代の人にとっては思い出の校舎というわけだ。
展示されているピアノ、オルガンも小学校で活躍していた品があるそうだ。
にこやかに説明してくれる職員さんも若く、前任者から聞いた話だそうだ。職員さん曰く、ここに展示してある品はほとんど高梁市民から提供されたものだそうだ。昔のものを大事にする市民の思いを感じた。
私は笑顔で資料館を後にした。

高梁市の美しい景観|紺屋川・有終館跡・教会
高梁市には美しい景観が残っている。最後にいくつか写真で紹介したい。

市の中心部を流れる紺屋川。石の造りが美しい。

方谷が教えたという有終館跡地

岡山県内で最も古い教会
高梁の町を後にして|徒歩で回れる、親切な観光地
市内至るところにいろいろ見どころが詰まっている。備中松山城を除いて、すべて徒歩で見て回ることができる利便性が魅力だった。180号線沿いにある観光駐車場は有料だ。武家屋敷駐車場と頼久寺駐車場は無料。市内の散策には無料駐車場が良いと思う。ちなみに私はこの両方に車を止めて見て回った。
観光箇所の職員さんはみんな気さくで親切だ。観光に力を入れている市の姿勢を感じた。
「また、来てくださいね。」みんな笑顔で言ってくれた。
私はほのぼのとしたあたたかいものを感じ、思わず微笑んでしまった。
快晴の10月下旬のお天気の下、私は上機嫌で高梁の町を後にした。
時計は16時前になろうとしていた。
今回は6つの記事にわけて備中松山、高梁市を私一人が実際に旅した内容を紹介した。高梁市は1日で観光するにはコンパクトにまとまって非常に歩きやすい町だ。
備中松山城の城まちステーションから武家屋敷までは車で5分もかからない。そこから45分弱で武家屋敷2つの観光が終わる。武家屋敷から頼久寺までは、車で移動した。2分くらいの距離である。頼久寺の駐車場も無料なので、車を動かした。頼久寺の観光は30分ほどで終了。そこから歩いて山田方谷記念館、高梁市郷土資料館まで15分といったところか。この2館は人によって見る時間にもっとも差がでるところだろう。のんびり鑑賞したければ時間を取ったほうが良い。私は体力と集中力がほとんど残っていなかったので、足早に終わらせてしまった。(笑)方谷好きには記念館は宝の山だし、昔の暮らしに興味がある人には資料館は面白い展示だと思う。
一人で歩く備中松山。そこには今を生きる高梁市の人たちと、過去を生き抜いた先人たちの歴史が奏でる協奏曲が美しく流れていた。
私ははっきりその音色を聴いた。今は人口減に苦しむ高梁らしいが、素晴らしい歴史をこれからも残し伝えてほしいと旅人みけまねは思ったのである。
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こうした体験も、私の中では一本の線でつながっている。その繋がりについてはお金の話ばかりじゃない理由|50代おひとり様がこのブログで伝えたいことに書いている。

