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備中松山城の天守閣と猫城主さんじゅーろー|9時の開城を待って一番乗り|50代一人旅③

木の桶に座る猫城主さんじゅーろーと備中松山城の天守
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9時の開城を待つ間、職員さんに聞いた話|シャトルバス・駐車料金・猫城主

やっと上ってきた備中松山城。時間は8時30分過ぎだった。
2名の男性職員さんがいた。青色のユニフォームである。

9時の開城を待つ間、職員さんに聞いた話の写真

「9時開城なのでもう少しお待ちください。」優しく声をかけてくれる。どうやら私が一番乗りみたい。

猫城主の石像とお城
【猫城主の石像とお城】

待ち時間の間にお話を伺った。
「今も猫さんは居るの?」
「いますよ。お城におります。」
「会えます?」

「会えますよ。私たちが餌を与えて飼ってます。」ほお、そういうことなのね。
私は「野良猫」がお城に時々やってきているのかと思っていた。
違うみたい。
猫は11歳くらい、飼い主がちゃんといる、などいろいろ教えてくれる。(後日調べたら、飼い主は高梁市観光協会だった。)

城まちステーションの駐車場からふいご峠までは、普段は車で行けるが、10月11月は混雑するためシャトルバスだけ(2026年10月時点)。一般車両はふいご峠までは入れない。そう規制していると職員さんが教えてくれた。

そういうことか。
ちなみにふいご峠の駐車代金は1000円(2026年10月時点)。看板が上がっていた。高いなと思った。
職員さんは交代でお城に来ているという。
「ここに来るの大変でしょう?!健康に良いのは間違いないですね」と私。

「毎日来ないから逆に慣れない。毎回、辛いですわ」と職員さん。
たしかに2、3日おきにこの山道は足にこたえるかも。

備中松山城は山城で人気がある。高梁市もウハウハですね。というと、観光客は増えても人口は減っているよと職員さん。空き家も増えているという。ここも人口減少か。ちょっと寂しい気持ちになった。

開城手続きに向かう職員さん
【開城手続きに向かう職員さん】

一番乗りで入城|共通券1500円と、振り返ると猫城主さんじゅーろー

そうこうしているうちに9時だ。
「お待たせしました。どうぞ。」
私が本日の一番の訪問客だ。

この階段を上ると入城
【この階段を上ると入城】

高梁市内の観光もセットになった1500円の共通券(備中松山城・旧折井家・旧埴原家・頼久寺・山田方谷記念館・高梁市郷土資料館)を購入させていただく。
スタンプも押していよいよだ。
よし!いざ!
と振り返ると・・・

「!!」 きゃーーー 私は喜びの声を上げてしまった。
お城の前にちょこん。
まさにちょこん。

なんとそこには「城主 さんじゅーろー」がいたのである。彼はお城の真ん前で台座の上に乗っていた。私ってミーハーなんだよな。これが。自分でも笑ってしまうがあの時のテンションの上がり方はまさしくそれだ。

振り向けばさんじゅーろー
【振り向けばさんじゅーろー】

ここからは彼の愛くるしい姿をどうぞ。

天守閣の中を見学|装束の間で謎が解けた

城主様にも挨拶できたことだし、私は天守閣へ入らせていただくことに。

天守閣の中を見学の写真

あそこが入り口。かなりここも険しい石段だ。凸凹して歩きにくい。当時からこんなに歩きにくかったのだろうか?殿様も苦労したことだろう。私はどうしても当時の人たちのことを考えてしまう。
靴を脱いでスリッパで中に入る。
城内は意外と狭い。そして木製の床がミシミシ音を立てる。

簡素なまさに「住むだけ」のお城という感じだ。この広さだとあまり人数は収容できない。下の写真を見てほしい。岡山城と比べてめっちゃ小さいのが備中松山城である。

私はこのお城に登ってくる際に、「こりゃお殿様も大変だ。こんな山奥の山城で生活していたのか?行き帰りこの道のりだよ?騎乗していたにしても大変だ。女子供もいただろうに・・・家来たちの苦労が凄すぎる。」と考えていた。

ここでその謎が解けた。

天守閣の中を見学の写真

文字が読みにくくて恐縮である。
ここに書いてあるように、備中松山城は権威の象徴で、お殿様は普段は山麓で政務をこなしていた。敵に攻められて籠城するときにこの城を使ったのである。

だから一段高いところには「装束の間」が用意されていた。この部屋は籠城時の城主の居室であり落城の際はここで切腹する場所。小さい部屋だ。

説明には「城主一家の死に場所である」とあった。私はちょっと緊張した。現代の私とこのお城に籠城したであろう城主とが一瞬交わった時間だった。お城の一番奥にある部屋。過去、落城したこともあるこの城は切腹した城主もいたかもしれない。武士の世界では切腹は有り触れたことなんだろうけど、その人にとっては当たり前だけど一回限りの切腹だ。「怖い」っていう感情はなかったのだろうか?(いや、少しはあっただろう?武士といえども)

当時の城主に思いを馳せた。

天守閣の中を見学の写真

お城の窓は全部、外が狭くて内側が広い。城の内部から敵を攻撃するときのことを考えて作られている。お城は当たり前だけど「すべては城主を守るため」にできていると私は感じた。

さらに階段で上の階に上る。この階段が急なのである。(笑)城までの道すがらの階段といい、城内の階段といいどれも高さが半端ない。昔の人は足腰が丈夫だったんだろうな。
現代人は上り下りに要注意だ。

神様を正面から撮影するのは憚られたため、遠くから一枚。そこには神棚が設けられていた。そして天井に巡らされた木の梁が美しい。
1600年代後期に城主の水谷氏が祀った宝剣の写真も展示されていた。この宝剣は代々備中松山城主に受け継がれていったという。

支配する家は変わっても神様に対する思いは受け継がれていったのだと思う。
素晴らしいなと感じた。

天守閣を出ると、また猫城主さんじゅーろー

さて、これでお城の内部を一通り見させていただいたことになる。
外に出ると天守閣と青空がまぶしかった。

天守閣を出ると、また猫城主さんじゅーろーの写真

そして、やっぱりこの方。私が城から出ると引き続き、お城の真ん前にいらっしゃった。
台座から降りて、その横に敷かれていた人工芝の上で日向ぼっこしていた。
ちょっと眠いのか?

時としてむくっと起き上がることもある殿。

天守閣を出ると、また猫城主さんじゅーろーの写真

でも基本は寝そべりポーズ(笑)
「よくぞ、来てくれた。また、参れよ」
「ははぁ!」
殿に挨拶して天守閣を後にした私であった。

時間はすでに10時30分を過ぎていた。
最初は私一人だけだった備中松山城も、この時間には多くの人が訪れていた。
殿の周りには人だかりが。
いつの頃も城主は民に愛されているのである。

下山後に聞いた話|さんじゅーろー目当ての人が多い?

下山後、職員さんに教えてもらう。
最近は備中松山城ではなく、さんじゅーろー目当てに来ている人のほうが多い?とか。
私を含め「かわいい」に弱いんだよね。みんな。城主はいつの時代も民に貢献するものらしい。
車に戻った時、私の膝は笑っていた。こんなに歩いたのは久しぶりだ。先月の尾道以来だろう。良い運動ができた。

しっかり歩いて城主にも挨拶できた。雲海に次いで目的を達した私。ここからはゆっくり車で武家屋敷に行ってみよう。
愛車で行くので私の足は休息できる。ほっ。

それにしても、備中松山城、雲海といい立派な石垣といい見どころ満載、行った甲斐があった。気持ちいい朝の散歩とちょっとした登山。かわいい現在の城主と歴代の城主に会える大事な場所。さらに印象深いのは、岡山県の地方の城にもダイナミックな歴史があることを肌で感じることができたことだ。

この町にはお殿様が歴代いて、それに仕える武士たちもいた。政務に勤しんでいた日々があった。
そしてある時代には敵に攻められて籠城、そして落城した。
また幕末には藩としての身の振り方に苦慮したこともあった。
・・・今に至るこの町だ。

備中松山城というお城に行けたことで、地方都市の生きてきた歴史を感じられたのは嬉しかった。
さて、次の記事からは私の旅の後半戦である。

前の記事:備中松山城は徒歩で登れる?城まちステーションからふいご峠、天守閣までの道のり|50代一人旅②

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備中松山の一人旅のまとめ:【備中松山城ひとり旅】50代女性の日帰りモデルコース|雲海・天守・猫城主・頼久寺

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こうした体験も、私の中では一本の線でつながっている。その繋がりについてはお金の話ばかりじゃない理由|50代おひとり様がこのブログで伝えたいことに書いている。

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