ここに来てショウペンハウワーの「人間関係」における考えを覗いてみることになる。
哲学者は人間関係という感情の渦巻く世界をどう見ていたのだろう。
私は「ほの暗い部屋で一人、理性の眼を持つ哲学者」が人との関係性を見つめている図を思い描いている。彼は何と言ったのだろう?
人間もハリネズミだった?
ショウペンハウワー自身は一人の友人も持たなかったようだ。家族もいない。
一人で生きたらしい。そばには愛犬のアートマン(インドの神様?)がいた。
彼は「独り立ち」と「共存」という一見相いれない人間の立ち位置について、ハリネズミの話を用いて説明した。
寒い日、ハリネズミは凍え死なないように身を寄せて一つになろうとするが、お互いのトゲの痛みで身を離す。しかし、また寒さに耐えられず、身を寄せ合っては離れることを繰り返すうち、ついには相手のトゲに耐えられるほどの適度な距離を見つける。お互いのトゲで傷つけない程度に温めあえる、適度な距離を取ることを学んだ。
この比喩は非常にわかりやすいし、実感を伴って同意する。
距離感が人間関係ではすべてだと言っていい。
近くに相手がいるほど、その相手とぶつかりあい傷つけあう可能性が高くなる。
すれ違うだけの他人より仕事上の人間関係、そしてそれよりも兄弟姉妹、それよりも親子、夫婦というふうにだんだん濃くなっていく。その分ぶつかるよね、普通。
私の場合、この「適度な距離」は、誰とでも仲良くすることではない。そもそも、近づく相手を自分で選ぶことも距離感の一部だと思っている。
私は価値観の違う、話していてもつまらない相手とはプライベートでは交わらないようにしている。
一定程度そういう人間は存在することが50年生きてわかった。昔は「みんな仲良く」とかいう不毛な価値観を埋め込まれていたため、自分を犠牲にして社会に合わせていたと思う。
それは意味がなかった。
それでも、若いときは力もないし自分自身のことさえわかっていないため、生存するために「相手に合わすこと」も必要だった。でも今はそれは無しだ。
仕事面でも極力あわないひととは距離を置く。どうしても無理な時は「仕方ない」、極力接点をなくす方向で調整だ。
それでいい。
ハリネズミの関係、言いえて妙だ。ま、私の場合ハリネズミ自体を選ぶんだけどね。
(笑)
以前「自分軸を作る3つの実践」という記事で書いた「まず自分、次に相手」という順番も、結局はこの距離の選び方の話だったのだと思う。
人はなぜ、そんなに群れたいのか?
人間関係でもう少し、考えてみよう。
人と交わりたいっていうのは根本からの欲求なのだろうか?
私はどうか。人と交わりたい?
あまりその欲望はないほうだと思う。それでも大好きな人とは会いたいしいろいろ読んだ本で議論もしたい。
行った旅行先で見つけた発見など話をしたいと思うことはある。
兄弟親族でゲームをするのも楽しい。
うーーん、でもそのくらいかな。
一人で居ても全く平気だ。ただ、一人でいると緊張がなさ過ぎてだらけ過ぎて老けこまないか?そっちが心配なくらいである。
(笑)
他人と交わりたいという社交の欲望が生じるのは、いまが不幸であることの裏返しに過ぎない。他人との付き合いを通じて得る価値は、幸福の本質ではない。
そうなの?私はてっきり、社交性の欲求は「人間は一人では生きていけない、もともと群れる性質をもっている」ためかと思っていた。本能ってやつである。
そうじゃなく「不幸」の裏返しという。
へぇ・・・違う考えもあるんだな。(これだから読書は面白い!)
絶えず誰かと一緒にいたいと思う人は、本人はそれと気づいていないけれど「不幸」なのかもしれない。
よく聞いてもいないのに子供のことを話し始める人がいる。「何で子供のこととか関係ないのに話すんだろう?」母親にとっては最重要事項だからだろうけど、聞いてもないのに話されても「?」ってなる。
ああいう人はもしかしたら、ちょっとバランスを欠いているのかもしれないな。
面白い。
ショウペンハウワーは言う。「人間のあらゆる不幸はひとりではいられないことから始まる」と。
あくまで独りよがりではあるが、私は一般人よりは幸せといえるかもしれない。
先ほどのハリネズミの話。実はちょっと間違いがあるらしい。
実際には、ハリネズミは相手に刺さらないようトゲを寝かすのだそうだ。他のハリネズミが近寄れるように気遣い、体温を保つためにトゲのない頭の方を触れ合わせ、寒さを乗り越えるのだという。
ハリネズミ、かわいい奴らだ。
ハリネズミからは学ぶことがある。人間も礼儀をわきまえ相手を尊重していれば傷つけあう度合も減ることだろう。
そうすることで「適度に暖めあう」ことができるかもしれない。トゲのない頭を引っ付けるんだよ。
人間も。それは礼儀というトゲ隠し。
私は今図書館に出記事を執筆しているのだけれど、周りにいる人たちが急にハリネズミに見えてきた。みんなちゃんとトゲ、隠してる?
ちょっと笑ってしまうのである。
出た!孤独最強説。
やっぱり出てきた。孤独の話題。
そもそも深く考えるということは一人でないとできない。だから哲学者には孤独好き、一人でいるのが好きな人が多いのではないかと私は思っている。
もちろんそれはショウペンハウワーも孤独好きだったであろう。(事実一人と一匹でいたようである。
)
孤独と社交性を対立するものと見た。知的能力が高い人であるほど、一人で過ごそうとする傾向が高まり、知的能力が低い人であるほど、誰かと一緒にいようとする傾向があるというのだ。つまり、孤独は偉大な人間の特性なのである。
言い切ってるなぁ。清々しいくらいである。
他者とは100%分かり合えないのは、それぞれが違う物差しを持っているし、違う色眼鏡をかけているからだ。言葉という優れたコミュニケーションツールがあったとしても、この壁は越えられない。
言葉を尽くしてもわかり合えない、理解してもらえないことは茶飯事だ。50年も生きてくればみんなそう思っているのでは?
自分と完全に一体化できるもの、それは私以外にはあり得ない。
私と完全に一体化するには「一人」になる必要がある。他者といれば自分自身より他者に意識が引っ張られてしまう。
だから「孤独」が、それに気がついている人にとっては「美味しい」のだと私は思っている。
この感覚は、以前「一人が好き。でも孤独は嫌なのか?」という記事でも書いたことがある。
そしてハリネズミが再び紙面に出てきた。
ハリネズミのような人は、寒くなると集まって体をくっつけ合うが、自分の中に精神的温かさを十分持った人は、わざわざ群れを作る必要がない。
そしてさらに、「この世界で私たちが頼れるものは、ただ自分自身であり、自分を絶対的に信頼するとき、最も幸福でいられる」という。
一般人がハリネズミであるならば、自家発電システムを搭載した孤独大好き人間たちはさしずめ「フェニックス」と言えるかもしれない。(ちょっとかっこよすぎか?)
ショウペンハウワーは言う。
最も価値のある人生は、ひとりでいられる能力を育てることにある。
今の日本ではひとりでいることを「ぼっち」と揶揄する傾向があるという。「ひとりぼっち」のぼっちを取っているのだろう。
何をおっしゃっているのだろうか。ぼっち最強説を私は支持しているのだけれどな。
以前「AIは人生の答えを教えてくれない」という記事で『孤独に生きよ』という本を読んだときも、同じようなことを考えた。
いくら嫌だって言っても、究極はひとりであることがデフォルトでしょう?
自分から逃げても意味がないと思うが如何だろう?
独奏者になれ。
あなたは単に暇だから他者と一緒にいることはないだろうか?
暇だから誰かと一緒にいるのは、協演のできない金管楽器の演奏者と似ている。一流の巨匠は、独奏する能力が十分あるからだ。
私は独奏できるだろうか?
いささか頼りない気がしないでもないが、若いときの私よりは格段に独奏力は上がっていると思う。
特に最近は、磨きがかかってきたような気がする。
若いときは、自分がわからないしお金もない。他者に影響されるし、自分より他人に合わせることもやむ無しだろう。
でも50代だ。
ここらへんで、美しいソロ演奏を奏でたいと思うが、あなたはどうだろう?
ご主人、子供、親、ちょっと距離を置いてあなたの音を聞かせてほしい。
ショウペンハウワーは言った。
人間が完全に自由でいられるのは、ひとりでいるときだけだ。つまり孤独を愛さない者は、自由を愛していないのだ。
森博嗣さんは「自由は自分のやりたいことを実現している時間だ」と言っていた。そして夢を実現するためには、「たった一人だけでみんなに内緒で行動せよ」と言った。
以前「誰にも言わなくてもやりたいか?」という記事で紹介した話だ。
自由と孤独。これは一蓮托生。
一心同体であると私は感じている。
私は今健康で、今自由で、今一人でこうしていられることに感謝の念が溢れて止まらない。
これが幸せというものなのかもしれない。
一瞬の幸せを捉えよ、そして今日を味わい尽くせ|『求めない練習』を読んで⑥
ショウペンハウワーはなぜ「人生は苦しい」と考えたのか?|『求めない練習』を読んで
誰にも言わなくてもやりたいか?|森博嗣『夢の叶え方を知っていますか』を読んで⑤
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