「諦めきれない」思いは「後悔」とちょっと似た味がする。そう思うのは私だけだろうか。今回は「諦めきれない」について考えていこう。
「諦めきれない」もの、人、出来事はあるだろうか?
過去の恋人が忘れられない人もいるかもしれない。
憧れの仕事が諦めきれない人もいるかもしれない。
「諦めきれない」思いは「後悔」とちょっと似た味がする。
そう思うのは私だけだろうか?
今回は「諦めきれない」について考えていこう。
諦めきれない!と叫ぶ前に考えること
「諦め」の対象について考えてみよう。それはなんだろう?
それは2つあるという。
一つは諦めると無くなるものが大きいもの。かなり実現に向けて努力を重ねたためここで諦めると、自分の時間、お金、労力が無駄になるといった場合。弁護士目指して10年頑張っている、なんてことかな。
もう一つは憧れている対象であって失うものがないもの。まだ行動を伴っていないぼんやりしたものを諦める場合だ。告白していない「好きな人」とか、行動していない「なりたい職業」とかがこれかな。
あなたには「諦めきれない」ものがあるだろうか?
私はすぐに思い浮かばない。「諦めきれない」ものって無い気がする。しいて言えば「ブラック零細企業ブラック企業から逃げられない30代へ。20年勤めた社労士が「あの頃の私」に伝えたいことでの20年以上勤務の時間が諦めきれない」と言えるかもしれない。でもこれって諦めるとか諦めないとかの次元ではない。過ぎた時間は決して戻ってこない。自分の意志の出る幕無しだ。人の死、ペットの死も「諦めきれない」と言いたくなるけれど、これも諦める諦めないの意志の範疇を超えている。論外だ。
例えば、「社会保険労務士になりたい」けれどなれない人が社会保険労務士になることを諦めきれない場合を考えてみよう。
森さんからの処方箋は「ぐだぐだではなく、真剣に考える」である。
考えるためには、データが必要で、それらをできる限り調査し、どんな未来が予測できるか、何通りも箇条書きして、そのそれぞれについて考察結果を整理するような「行為」をせよ
という。
社労士なら、合格するにはどの程度点数を取るべきなのか、科目はどんな科目があるのか、参考書を見て内容が理解できるか、社労士ができる仕事は何があるのか、それは食べて行けるのか・・・そういうところから考えていくべきということだろう。
夢と諦めきれないは似ている。強い思い、それが夢には必要だ!!
あなたには是非ともかなえたい夢はあるだろうか?
その夢の実現のために計画して実行しているだろうか?
それができているなら、それは素晴らしいことだと言える。
私は行動力が今一つ、足りない。そんな私には以下の森さんの言葉が響く。
現在の自分には不可能だ、という「夢」ならば、その不可能をどのようにして解消するかを考える。(中略)無理だ、無理だと呟くだけでは考えていることにならない。それでは、願っているだけだ。
これでは夢に向かう「行動」をしたとは言えないという。
そうやって実現へ努力する人と、ただ憧れを思い浮かべる人と、どこが違うのか。もちろん、才能とか環境ではない。単に、夢に対する思いの強さが違うだけだ。
この理論に私は反論を持たない。
そういえば、私もブラック零細企業を辞めたい辞めたいっていつもグダグダ思っていたっけ。30歳前には思っていたから12年くらいグダグダしてたことになる。
転職先を探すわけでもなく、疲れているからとか、ほかに雇ってくれるところなんてないから無駄とか、言い訳並べてグダグダしていたな。ほかにこれがしたいっていう強い感情の伴う「夢」がなかったためだろう。
どうやったら強烈な感情を伴った「夢」を持てるのか?
だったらどうやったら何が何でも叶えたい夢を持つことができるのだろうか?
このことに対して森さんは何も書いていない。
私が思うに、生まれた時から「強い感情を伴う夢」を持っている人はいない。赤ちゃんは真っ白だ。
一流の野球選手も子供の時、野球をやって楽しい、面白いを感じてプロ野球選手になる強烈な夢が出現したんだと思う。そもそも野球を子供の時やっていなかったら夢になりえない。
森さんは自分でつくる鉄道模型の夢のために、戦略として小説家になった。
感情を伴う夢を得るためには、やっぱり「行動」だろう。
やってみて嵌れば感情が湧いてくる。嵌るまで試してみるしか方法はなさそうだ。子供のほうが先入観がない分嵌りやすい。50年生きてきた私は先入観でゴリゴリだ。それでも「絶対やりたい夢」は行動することで見つかると思うが如何だろう?
夢を途中で諦めても、「問題なし!」っていう話
それらしい夢を見つけた。
よし、これだ!そう思ったけれど、実現できず諦めることを選んだ。
それでも「OK、大丈夫」と森さんは言う。
「野球」の例で考えてみよう。甲子園に行けた、でも、プロ選手になれず野球以外の仕事に就いた。
この場合、彼には何も残らないのだろうか?
そんなことはないと私は考える。
失敗しても、諦めても、人間にはノウハウが蓄積する、といえる
という。
とにかく目の前の課題に精魂込めて取り組んで損はない
と。
さらに
なにも努力をしなければ、成功も失敗もない。誠実に生き、努力をする者は、たとえ失敗をしても、どん底に落ちることはないだろう。それは、目標を達成しなくても、何らかの成果が、その人間に残るからである
という。
野球で甲子園に行った。甲子園に行くくらいだから努力をしっかりしたと思う。でもプロにはなれなかった。なりたかったけどなれなかった。
彼の中には、野球をした楽しさが残るだろうし、みんなで頑張った楽しい思い出も残るだろう。そして何より、練習を積む癖がついているだろうし、「根性」も養われているだろう。これらは今後、仕事に取り組むとき、自分で事業を立ち上げるとき、役に立つと思うが如何だろうか?
行動の前に諦める人への言葉
行動する前に諦めてしまう人、「努力の前に、「諦めようか」と迷っている人たち」がいるという。
森さんのもとには「小説家志望」なのに「上手く書けない」といって止まっている人からの悩み相談がくるという。
彼らは失敗を極度に恐れているから、やり始めることができない。
わかる心境である。大人になるとそう気軽に始められないのだ。(何でだろう?)
アドバイスすることは
まずは止まらずに、毎日書いて、書き進めてもらいたい、ということだ。
つまり行動せよってことだ。
小説家になりたいのなら、下手でも納得しなくても毎日書いてくれということだ。
これはそのまま、私にも言えることだ。
私はUdemyの講座をもう一つ作ろう、作ったほうが良いと言われている。しかし取り掛かれていない。Udemyの講座を作成するのは結構重労働なうえ、時間もかかるし大変だから避けているのである。
足が一歩出ないのだ。
行動していないから、数日たつとまた同じことを考え出す。
忘れてもまたふと思い出して考える。
これを繰り返してしまう。
小説家志望の人も、上手く書けない、どうしよう、で止まって、またどうしよう?向いてないのか?諦めたほうが良いのか?って考えているのだと思う。
同じだな、みんな。
私は一歩の出し方を私なりに考えていきたいと思っている。考えることで一歩踏み出せたのだったら、次新しいことをはじめるときに、そのやり方は応用できる。
ノウハウの蓄積ができることになる。
そして実行できれば、先になって「やっときゃよかった、諦められない」って言うことも減るだろう。
グダグダする時間が減る未来が見えてくるわけである。
もしあなたが新しいことを気軽に始められる方法を知っているなら、ぜひ、教えてほしい。
その方法は心さえも軽くする魔法薬になるかもしれない。
この本について
「諦める」は、逃げることじゃない|森博嗣『諦めの価値』を読んで①
お金の話ばかりじゃない理由|50代おひとり様がこのブログで伝えたいこと

