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絶望したとき、人はどうやって立ち上がるのか?|森博嗣『諦めの価値』を読んで③

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人生に大きな壁が立ちふさがったとき、あなたはどうするだろうか。私はどうするだろうか。時間をかけて立ち上がるしかないと感じている。これはどうなんだろう。

「諦めることは悪いことではない」とはいうけれど、「諦めきれないんだ。」

そう言いたい瞬間が人生にはあるかもしれない。

「頭ではわかっているけれど、感情が納得しないんだ!」そう語る人を見ることはある。

自分がその立場なら、さもありなん、「そうだろうな」と同意するような状況。

人生に大きな壁が立ちふさがったとき、あなたはどうするだろうか。

私はどうするだろうか?

どんな大きな困難でも、人は時間をかけて立ち上がるしかないと私は感じている。

私という個体が生きていく限り、それしか道はないと直感的に感じている。

これはどうなんだろう。

「どうしたら良いのかわからない」と立ちすくむとき

最近は災害が多い。

ニュースを見ていると家が台風で流された人たち、地震で家が倒壊してしまった人たちが映される。みんな「これからどうしたら良いのかわからない」心境だろう。絶望を覗き込んだ状況だ。

森さんは言う。

一般に「どうしたら良いのか」困っている人は、どうしたら良いか、どんな方法があるのかを知っているのである。ただ、それらが「良い」というほど楽なものではない、自分がしたかった方法、すでに失われた方法よりも「良い」とは思えない、ということで困っている。そして、結局は、「良くなくても、しかたない」と諦めるまで困り続けることになる。これを「気持ちの整理がつかない」状況と表現するのである

そんな状況でもみんな、いつしか前を向く。感情に落ち着きが取り戻せるとき前を向く。「諦めることができた」のかもしれない。

その姿に私はいつも感動する。そして応援する。

被災した人はボランティアに救われたと話されるが、実は「その人を救っているのは、その人自身である。その人の気持ちが切り替わることが最大の要だからだ。」という。ボランティアはじめ外部要因はそのきっかけにすぎないらしい。

ボランティアや周囲の人たちの支えは、もちろん大きな力になる。

けれど、最後にもう一度前を向き、歩き始めるのは、その人自身なのだということだ。

人間ってすごい。私は素直に感動した。

人は、他者によって救われることは実は稀であり、他者の援助はきっかけになるだけで、本人が本人を救うのである。病気だって、医者が治すのではない、本人の体力によって治る。「癒される」という言葉があるが、これも、癒される本人が、自分で自分を癒すのだ

という。

知らなかった。

私は動植物トンボを見て癒されるが、それは彼らが私の中の癒しの力を発動させてくれるから・・・ということなのだ。

私たちを救うのは私たちでしかない。これって凄いことですよ?!

私はじっと自分の体を見た。

被災した人たちが諦めたものは、以前住んでいた家と生活というもう先に進めなくなった「道」だという。この道をこれからも歩き続けたかった・・・その思いを諦めたのだ。

夢も目的も人さえも「方法」だった?!

ここから話が一歩進む。

私がどうしても手に入れたいと切望した夢、目標これらは全部「方法」だというのだ。

夢が方法?え、夢って目的じゃないのか?普通に考えて目標だろう。

直観的にそう理解していた。

しかしそれらは道であって方法だと森さんは指摘する。

多くの場合、「目的」と思い込んでいるもの、「夢」だと認識しているものも、「方法」である。たとえば、何かの職業に就きたい、という夢を思い描いている人も、実はその職業によって幸せを勝ち取りたいわけである。(中略)結局は、幸せや満足が最終的な目的であり、すべてはそれを生み出す方法といえる。

確かにそうだろう。

そう言われてみれば、ああなりたい、こうなりたいと考えるのはそうなれば幸せに違いないと思うからだ。であれば、個人的には望みはその人の幸せへの道(方法)といえる。

「人」さえも個人単位でみると「幸せの方法」だと森さんは指摘する。

自分の幸せや満足のために必要な「方法」として、他者を求めていると考えられる

のだという。

自分の理想の人と結婚する、その相手は自分が幸せを感じる「方法」。

ちょっとドライな考え方だけれど、納得できるものがある。(私は独身だけど)

そして諦めるのはこの「方法」だ。

そう、いつも方法を諦めることになるのである。幸せ自体を諦める必要はない。

これは幸いなことだ。

未練の断ち切り方、教えます。

冷静に全体を見渡して合理的に取捨選択して、「選択されなかったもの」が「諦めたもの」だ。だから諦めるということは特別なことではなく、選択した結果、いつももたらされると思う。

合理的判断の結果だ。

しかし、自分にとって大事なもの価値あるものを、選択できないときもある。その時感じるのが「諦めなければならない」「諦めてしまった」「諦めた」というあの感覚だ。

無念感を伴ったあの感覚。悔しくもあり腹立たしくもある、あの感覚。

「無理をすれば、頑張れば選ぶことができる」という可能性が残っているとき、この感覚になる。これは感情だ。感情は合理性では制御できない。この感情を未練という。

「重いものを諦める」にはどうしたらいい?

未練を断ち切って諦める方法はあるのだろうか?

森さんの回答は

こればかりは、どうしようもない。(つまり、諦めるしかない)のではないか。

ということだった。

確かなのは、「諦める」のは諦めたほうが良いという判断をその時点でしたからだ、という点である。「諦める」ことで得られる(と思しき)何かがある、何かの目的に近づくことができる、との計算があった。だから諦めようとしているのだ。そこを今一度自分でよく認識する。そうすることで自分を説得し、納得させることである。諦めきれない未練を断ち切るには、これしかない。

感情だから理論ではない。

だから言い聞かすのだ。自分に。

納得してもらうのだ。私に。

自分で考えて、合理的選択をした。諦めたほうが良い、自分のためになると判断したのだ。この事実を受け止めよ、ということかもしれない。

私流の未練の断ち切り方 教えます。

頭じゃわかっているけれど、心が納得しない。どうしたって納得してくれない。そういう時はどうするのか?

そんな時は諦めることで何を得るのか、自分がなくした大事な諦めたものは何だったのかノートに書くと良いのではないかと考えている。箇条書きでも何でもいい。天秤にかけた絵でも良いかもしれない。

メリットデメリットを書きだす。

100%良い選択なんてそうそうない。

良いこともあれば悪いこともある。

そういう状況が多い。

だから紙に書いてみるのである。

メリット80点、デメリット60点なら20点メリットが大きいことになる。

だから選択した。

そういう理論を私に見せるのだ。

すると私が「仕方ないか・・」と小さく頷いてくれるかもしれない。

私は紙に書くこと以外、頭を整理する方法を知らない。

頭の中を見える形にする。おすすめである。

もやもや感、対処方法教えます

なんか「もやもやする」ってこと、ありはしないだろうか?

私は正直、よくある。

気分の問題か?と思うくらいよくもやもやする。

もやもやの正体は「自分を見失っている感覚に近いものだ」と森さんは言う。私はもやもやは「このままで良いのかな?このまま年取って終わっていいのかな?」といった答えのない問いが浮かぶからかと私は思っていた。

それも外れではないけれど、森さんの答えは微妙に違った。

もやもやの正体は現状に対する薄っすらとした輪郭のつかめない不満であり、リアルの自分が楽しめていないことだという。もやもやって楽しめていないっていうことの証拠だったのか?!

これまた驚いた。

もやもやは「このままで良いのか?」って考えることから始まり、そこから脱出するための方法を探す旅に思考が出てしまうことで生じてくる。「子供の時はキラキラしていたはずだ、夢があったはずだ」と思い出してみる。どうしたら取り戻せる?もやもやする。

そこで、このもやもやから抜け出す方法は?とまた方法論を探していく。

迷路みたい。

これから抜け出す方法。

それは「没頭する」何かを見つけることだという。

なんでも良いから、自分で考え、自分にできることを試みるのである。実験してみる、行動してみる。これまでしなかったことに挑戦する、と言ってもいい。もやもやと悩んでいる自分を忘れるほど、なにかに没頭することが、あなた本来の「あなたらしさ」を思い出させるだろう

もやもやを撃退する方法。

自分で考え、試し、行動し、没頭する。

書くとこれだけのことだった。

私が感じているのは、もやもやは頭の中の霧で、思うだけでは霧は晴れないということだ。放っておくとどんどん霧は濃くなって視界が悪くなる。曲者だ。

だからまずは「考える」。あれこれ思うのではなく「考える」

次に動いてみる。体を移動させる、物をつかむ、歩く、走る、書く、読むなどとにかく、行動。そして心に響く「?!」というものに出会えればしめたもの。

いやいや、そんなもの、行動したけどみつからないという人。いるはずだ。

私であっても、いつも没頭できるものを見つけられる自信はない。

そんなときの特効薬を紹介したい。

「もやもや」と「諦められない」に対する特効薬 教えます

もやもやも諦められない未練も、全部頭の中にある。

私はこの本の中からそれらに対する特効薬を見つけた。

森さんは結論、諦めるための方法は自分で考えるしかないともいう。

嫌なことを考えるなら別の楽しいことを考えてみろと。

しかしできない人もいる。

考えられないという人は、例えば自分の部屋の掃除を始めたり、どこかを大掃除するのが良いだろう。その作業に没頭することに効用がある。作業の過程で、自分のコントロール方法を思い出すはずである

そう、その特効薬とは「掃除」だった。

「もやもや」にもこの特効薬が効くと私は直観的に感じた。

掃除のほかにも、「座禅」を組んだり「滝に打たれる」など昔からされている方法も自分コントロール術といえる。

頭の中の整理にも、リアルの「掃除」が効くということだ。

これは発見だった。

座禅もいいけれど、これは形ないものに集中力という無形のもので対抗するため技術が必要。滝に打たれるのも現実的にはすぐに実行できない。

やはり即効性のあるのは「掃除」だと感じた。

実際、引き出しの1つを整理してみた。SDカード、USB、それにノートに押すスタンプなど雑貨がごちゃごちゃしている一角を整理した。

効果覿面。

物別に整理して小箱にいれておくだけで、使いやすくなった。

そして15分もすれば、物理的に触れない頭の中がきれいになった、霧が薄くなったと実感した。

これは意外といけるかもしれない。掃除、凄くない?!

この記事を書いて「諦める」ということは、掃除することに似ていると気が付いた。

諦めていこう。

掃除していこう。

私は空を見上げた。

この本について

この本「諦めの価値」が気になる方はこちらから。

「諦める」は、逃げることじゃない|森博嗣『諦めの価値』を読んで①

お金の話ばかりじゃない理由|50代おひとり様がこのブログで伝えたいこと

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