個性全開で生きろ!
ショウペンハウワーは言う。
自分はだれかと比べて劣っているなどいうことはない!
各自の個性が違うからこそ、人間はこの世で一番高い段階の存在なのだ。
それぞれが個性的だからこその多様性だ。
この多様性が人間の発展の原動力だという。
そしてさらに、他人に言われたことじゃなく、自分がしたいことをするとき幸せを感じるのが人間だという。
だから、
他人と違った自分だけの色を探すこと。自分だけの道を行くこと。
が大切なのだ。
人間って凄いな。
幸せなことをしさえすれば、自分が属する種が発展するようにできているってことだ。
そりゃ、繫栄するわ。
森博嗣さんも自分がしたいことをやれ、自分が没頭できることをせよと言った。
異なる人が異なる形で、同じ方向を指し示している。面白いな。
他人より自分だ。自らの価値を誇れ!
他人によく思われたいと思ってないか?
嫌われるよりは好かれた方が良いに決まっている。そのほうが団体の中では生きやすいから。
でも50代、そろそろ他人より自分で行きたいよね?
私は30代くらいからそう思っていたけど、力不足で社会に、他人に合わせて生きてきた。
そういう卑屈な生き方しかできない自分が情けなかった。
また言うけれど、社会生活において重要なのは、世間からの評判だから仕方ない部分はある。若いときは敢えて「それでよかった」と今なら言える。
それはそれで是であったと。
しかしこれからは違う。
あなたを評価する他人の気持ちは、浅はかで、薄っぺらで、歪んでいることが多い。だから、期待以上の評価を他人に望むのは間違いだ。
間違いない。正しい指摘だ。
ショウペンハウワーは「誇りを持て」という。
自分がすでに持っている長所に対する確信を意味する。
自分で自分の価値を肯定する、揺るぎのない誇りは、最も重要な幸福の条件である。
それもわかっている。自尊心の低さは指摘されて久しい。
だから多くの人が苦しんでいる。
誇りを持つためにも、自分の個性の発見が重要だ。
自分がやっていて楽しい、夢中になれる「こと」が大きな意味を持つ。これがあれば他人の目を気にすること自体が無くなっていくと思う。
言葉どおり没頭できるわけだからね。
本当はそういう没頭できることで経済的自立ができればベストなんだけど。
まずは没頭できて楽しいことから始めてみよう!である。
多分それは長所になるだろうし、継続していけば価値もでてくるだろうし、誇りのもとにもなるだろうと思う。
これは森さんの主張とも矛盾しない。
ショウペンハウワーは誇りの重要性を強調した。そして彼は言った。
虚栄心を持つと口数が増え、誇りを持つと寡黙になる。
詩人だね。私はまだ口数が多いかもしれないな。
でもこれはまわりとの和を醸し出すためにしてることだから私的には良しとしている。
誰にも奪われない幸せを私は持っている
いよいよ本も最終段階となった。
最後に誰にも奪われない左右されない幸せの源泉についてショウペンハウワーから学んでみたい。誰にも奪われない幸福?そんなもの私は持っていたのか?
どうやら持っていたようである。
誰にも奪われない幸せの源泉、それは「人格」だという。
健康、力、美しさ、気質、道徳的性質、知能、そして教養。
人格は人間が本来生まれ持ったものであり、だれにも奪うことができない。人間の幸福を決定する人格は、世の中を見つめる各自の観点を指す。(中略)幸福は外部から得られるのではなく、私たちがこの世界をどう見るかによってつくられる。重要なのは心の持ちようなのである。
ここにきて新たな言葉、人格が登場してきた。最後の最後に出てきた感がある。
人格とは世界を見るときの、その人なりの観点だという。私には「視座」に近いものにも思える。
小人が立って見ている世界と、巨人の肩の上からみている世界は全く別物だろう。それと似ている感じか?
人格は生まれ持ってでてきた個性にも左右されるし、どういう人生を生きてきたかにもよる。さらに自分でどう自分を高めてきたかにもよると思う。
人生をかけて人格を高めていく必要がありそうだ。
客観的な側面をいくら取り繕っても、主観的な側面が愚かで悪ければ不幸に見えるものだ。いかに素晴らしい景色でも、質の悪いカメラでは美しく映らないように、世の中を見る観点によって正解は違って見える。
私の人格、つまり私の内面の主観的側面はどうだろうか?
これ自体、他者と比べることはできない。でも、自分と同じ観点を持っている人、同じ価値観を持っている人、同じ視座から見れる人はなんとなくわかる。
同じ匂いのする人はわかるものだ。あれが人格の香りなのだろうか?
ショウペンハウワー自身はお金もちであり、働く必要もなかったらしい。だから冷静に人生と向き合って思索を重ねることができたという。
彼は言う、
懸命に生き、品格を積み、教養をもって年を重ねるには、何より読書と思索、そして絶え間ない自己洞察が必要だ。
私がこうして、いつ読まれるかわからない記事を、本を読んで考えながら書くことも、私にとってはあながち間違いでもなさそうだ。
幸福、個性、人格、抽象的でつかみにくい哲学の世界。
私は好きである。なんといっても人間は考える葦なのだから。
そして考えることで自分の命をより大事に輝かせることができると思うのは気のせいだろうか?
私は私の道を歩いていく。
いや、それしかできないのが本当だろう。
そしてその道は、思った以上に美しく楽しい予感がするのは何故だろう。
読書の秋、一人で思索する楽しい時間はまだまだ続く。
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