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「散る桜、残る桜も散る桜。人生は儚いから愛おしい」

50代になって、新しい扉が開いた話
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この記事は数年前の私が書いて、お蔵入りしていたものだ。改めて読んでみた。大好きな良寛さんの詩を取り上げている。散りゆく桜の季節になるといつもこの詩を思い出す。私の心象スケッチとして残しておきたい。

散りゆく桜を眺めるのが好きだ。
風が吹くたびに、
舞い散っていく花びらを、
見上げるのが好きだ。

桜が散るときは、
春風がふいていることが多い。
春風と桜、
それはとても素敵な組み合わせだ。

この季節になると、
思い出す詩がある

散る桜 残る桜も散る桜 良寛

この詩である。
岡山県玉島に縁のある、
良寛さんの辞世の句と言われている。良寛さんは子供たちといつも遊んでいた。
そして、この詩を残した。

桜は咲くと必ず散る運命である。

あの桜もこの桜も
どれも見事だ。
それでも、
あの桜もこの桜も
1枚の花びら残さず
散っていく。

それは生けとし生けるものすべてに当てはまることだ。私はこの季節になるといつも感じている。

もっと言えば、
物質すべてに言えることかもしれない。

存在するものは
すべて滅していく。
満開時、咲き誇る桜は
言葉がでない美しさだ。

しかし、
散りゆく桜には
涙がでるほど
心が揺れる。
桜の散りゆく様に、
儚さを感じるからかも知れない。

咲いて満開なのは一時、
瞬く間に散っていく。
これは人間の一生にも
いえることだ。
特に晩年になって、
人生を振り返ると、
おそらくどの人も
「人生はあっという間。
早かったなぁ」
と感じるだろう。
良寛の残したこの詩には、
死に逝く者が、
残る者に残した、
諦めの気持ちがあるように思う。
「遅かれ早かれ、
おまえたちもみんな
死んでいくのだ。
先に逝くのが私であるだけで、
みな一緒なのさ。」

自らの死を、
目前に見たからこその、
気づきであったのかもしれない。
永遠のものなど
存在しない。
ずっと生きる存在なんて、
ありはしないと私は感じた。
良寛さんはそんな命を見てなんと感じたのだろう?
こんな儚い人生、虚しいなぁ・・・ 
違うだろう。 
こんなにも儚い人生、それだからこそこんなにも愛おしい。
そう思ったのではあるまいか?

私たちは、
すべてが移りゆく世界で、
散りゆく桜のような儚さで、
瞬く星の一瞬を生きている。

そんな存在なのだろう。

それはどの瞬間も、
貴重で、
私にとって狂おしいほど愛おしいものであるはずだ。
私はその貴重な時間を
しっかり抱きしめていることが
できているだろうか?
私はこのかけがえのない自分を
しっかり輝かせることが
できているだろうか?

桜吹雪の中で、
私は、
良寛の詩とともに
そんなことを考えるのである。
こんなに桜が美しい日は妙に詩人になってしまう。
散りゆく桜、それを見てあなたは何を思うだろう?
私は短い時間、一生懸命に咲く美しい桜を見て、命のまぶしさを感じてしまう。
それはほんの数日、懸命に鳴いて死する蝉を見て感じる思いと似ている。

桜と死生観については、西行の辞世の願いのことも書いた。
「願わくは花の下にて春死なん|西行の願いは、本当に叶っていた」

こうした気づきも、私の中では一本の線でつながっている。このブログ全体の考え方はお金の話ばかりじゃない理由|50代おひとり様がこのブログで伝えたいことにまとめている。

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