この記事は私が開業したての頃、書いたものだ。当時は足元が固まっていなくて毎日藻掻いていた。
今思い出しても、相当ストレスだったと感じる。記事を読み返してみると、その時の気持ちがリアルに蘇って辛くなる。あのときの私がいたから今がある。その時支えてくれた詩を当時の記事とともに紹介したい。
言葉は力だと思う。
あなたはゲシュタルトの祈りを知っているだろうか?この詩は「いま、ここ」を重視するゲシュタルト療法を開発したフレデリック・パールズ(Fritz Perls)の詩である。
私の好きな言葉「ゲシュタルトの祈り」
「私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。私は何もあなたの期待に沿うためにこの世に生きているわけではない。そして、あなたも私の期待に沿うためにこの世にいるわけではない。私は私。あなたはあなた。でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ」
(原文)I do my thing, and you do your thing. I am not in this world to live up to your expectations, And you are not in this world to live up to mine. You are you, and I am I, and if by the chance we find each other, it’s beautiful. If not, it can’t be helped.
卑屈なくらい人に合わせている自分
日本人は他人に合わせてしまう傾向が高い。
私自身もそうだ。
特に社労士として開業してからは自信がないものだから卑屈なくらい人に合わせている自分を感じる。
自分を貶めて稼げるわけでもないのに。
稼いでいる労務士にゴマをすったり。
相手を必要以上に持ち上げたり。
意味がない。
そんな薄っぺらな関係、相手も見透かしているだろう。
そんな意味ないことより自分を高めることに力を使うべきだ。
そんな私が勇気をもらえる詩だ。
私は私。あなたはあなた。
そう、私は他人のために生きているわけではない。
自分ではどうしようもない他人の物差しに合わせて生きる。そんなの、実態のない嘘に合わせて生きるに等しい。
私が感じている世界、この世界が現実だ。
私は私、あなたはあなた。
それらは繋がっていると同時に全く別世界なのだ。
大きな宇宙の目、鳥の目で見る場合は繋がっていて、日々の日常ではそれぞれの役割をそれぞれがこなしている全く別の存在。
この両方の視点が必要だ。
感じ方、考え方の軸足を自分にもってくること。自分始点で感じること考えること。
同じ考えるでも、自分視点で考えるのか他人視点で考えるのか、どこに立って考えるのか。
それで結果が決定的に違ってくる。
自分を大事にして良いのだ。いや、自分こそ大事にするべきなのだ。
他人と自分、バランスが大事だ。
そして合わなければ離れていく、それだけだ。
それは悪いことでも悲しいことでもどうということもない、そういうことだと思う。
それでいいのだと、この詩を読むと静かに思う。
2026年追記
自分の心情がダイレクトに伝わってくる。今でも私はついしゃべりすぎて墓穴を掘ることがある。これはその場を明るくしたいというサービス精神の現れだと理解しているが、本当はどうなんだろう?これ、やめたくてもやめられない、習性みたいになっている。私としては自分のことを「ネクラ」と思っているのであるが、他者はそう思っていないようだ。よくしゃべるからだろうな・・・
仮面を被っているようで、後で反省したこともあった。でも、今はそうすることで私も一緒にいる他人も楽しいのであれば良いことにしている。墓穴だけは要注意である。(笑)
「私は私、あなたはあなた」という軸は、こちらの記事とも繋がっている。
「一人でなんでもやってきた私」も、実は他人軸だった。自分軸の本当の意味
自分軸を作る3つの実践。「まず自分、次に相手」この順番が全てだった
「一人でも大丈夫」ということについては、こちらにも書いた。
孤独が怖い? 50代おひとり様の私が「孤独は美しい」と思えるようになった話
「絆」は家畜を縛る縄だった。森博嗣「孤独の価値」を読んで孤独死を恐れなくなった
もうひとつ、私を支えてくれている祈りがある。大学時代にシスターから教わった「ニーバーの祈り」の話は、こちらに書いた。
変えられないものを、受け入れる勇気|シスターに教わった「ニーバーの祈り」
こうした気づきも、私の中では一本の線でつながっている。このブログ全体の考え方はお金の話ばかりじゃない理由|50代おひとり様がこのブログで伝えたいことにまとめている。

