自分軸で生きているつもりだった。でも本当は、他人軸だった。
自分軸って何だろう
最近「自分軸」という言葉を、よく耳にする。
それは私がこのことに、関心があるからだろう。
自分軸って自分を優先することなのか?抽象的でよくわからない。
その答えを求めて1冊の本を手に取ってみた。
「人付き合いで疲れない方法 根本裕幸 著」である。
この本はずばり「自分軸」の作り方が紹介されている。
外国人が記した本の訳本にありがちなわかりにくさが全くない、とても読みやすい良書だ。
人付き合いに疲れる、そんなもの人間してたら誰でも経験済だろう。
特に若い頃は人に嫌われないように体裁よく付き合ってた気がする。
適当に付き合っていた、そうともいえる。
本書によれば、そういった生き方も「他人軸」になるという。
「いえいえ、私は他人に迷惑をかけず頼らず、自分軸で生きてますよ。」
「他人のことは、関知せず自分の我を通して生きてきましたよ。」
自分軸で生きてるでしょ?!って思っていたので、ちょっと驚いた。笑
私の中では、我を通す、自己中心であることに少々罪悪感をもっていたくらいだ。
他人軸には2種類ある
しかし、この生き方も全部「他人軸」であるという。
「他人軸」には「依存」という状態と「自立」という状態がある。
私が声だかに主張している部分は「自立型の他人軸」といえそうだ。
軽くショックを受ける。
「依存」とは誰かになんとかしてもらいたい。自分では何もできないという態度です。物事がうまくいくかどうかがすべて他人にかかってきます。他人に寄りかかっているから安心かというとむしろ逆で、相手に見捨てられやしないかという不安や恐れもあります。誰かに援助を求めるというよりも、自分の身代わりになってもらうことを求めます。何もできない自分の代わりに全部それを背負って欲しい、というマインドなのです。
そしてさらに著者の指摘は続く。
自分軸でいるようで他人軸にいる 自立 のことだ。
依存状態にあったときの傷ついた苦い経験を繰り返さないために、あえて一人で頑張ろうとする状態が自立です。背景に「もう誰にも頼らない」という意地があります。しかし何でも一人でやろうと背負い込み、しんどくなってしまいます。これは依存とはベクトルの向きが違いますが、「他人に頼ってはいけない」と他人を強く意識した他人軸の状態です。
これらは、他人との線引きがうまくできない(相手に振り回されている状態なので)といえるのでやはり他人軸です。
多かれ少なかれ人間は他人軸といえそうだ。
完全に自分軸でいられたらそれはとても心地よいことだと思うが、
かなりハードルが上がる気がする。
本当の自分軸とは?
こうなると俄然、「自分軸」なるものに興味が湧く。
どう生きるのが「自分軸」なのよ?!
「私は私、他人は他人」という意識でいると、きちんと自分の足で立つことができます。それを「自分軸」と呼びます。自分軸に対して相手を気にしてしまう状態を「他人軸」と呼びます。自分軸でいると、自分と相手との間に線を引きやすくなります。相手より自分のほうを大事にしている状態なので、譲れるものと譲れないものの境界がはっきり見えるからです。
仮に相手が要求に応えない自分に対して不満をぶつけてきたとしても、自分軸にいる人は自分の大切なものを守ったことのほうに価値を感じます。
他人軸にいるときだったら深く傷ついていたような何気ない相手の一言も、「へぇ、あなたはそんなふうに思っているんだ。でも、それは仕方のないことだから。はい、終わり」とスルーできることもあります。
だから自分軸になればなるほど心が疲れないのです。
つまり、他人のことを気にしない状態の究極は、他人が自分の世界から消えている状態のことを「自分軸」というのだろう。
すべての心の動きが他人からではなく、自分からであるともいえる。
そうかぁ、物事の出発点が自分からなんだ。
内から外。いつも内が先。・・・そういうことか。
私は少し理解できた気がした。
あまりやりすぎると「空気読めない奴」「自己中心」「わがまま」とか言われて周りから浮くことになりそうだが、そもそもこの本を読む人たちは、相手のことを機敏に察知しすぎるタイプ「都合の良い人タイプ」だから、その心配は限りなく少ないと私は思う。
自分が他人軸かどうか、チェックしてみる
「いい人」になってしまうと、自分らしさ、つまり自分の個性が殺されてしまいます。
お伝えしたいのは、「いい人をやめる」というのは幸せになる、人間関係に疲れないための近道です。
私はより意図をくみ取っていただきたいがゆえに、強い言葉でこんな提案をします。
「鬼畜生になれ」
「不義理、非人情で生きましょう。
その言葉を綺麗に言い換えれば、「私は私、他人は他人」です。
一番大事なのは個性。
そこからぶれないこと。
個性とは言い換えれば自分らしさだと思う。
私らしさ・・・これまた抽象的で難しいぞ。
これは日を改めて考察してみたい。
さて、ここで自分自身の他人軸度合いを図ってみよう。
著者がチェックボックスを用意してくれていた。
参考までに載せておく。
あなたは自分軸ですか?それとも他人軸ですか?
□他人に気を遣いすぎる。
□人目を気にする。
□周りの人がどう思っているのかが気になる。
□批判、否定されるのが怖い。
□馬鹿にされたり、見下されるんじゃないか、という恐れがある。
□仲間はずれになったり、一人だけ浮いてしまうのが怖い。
□間違いを犯すのが怖い、失敗するのが怖い。
□みんなと一緒だと安心する。
□期待に応えなきゃと思っているし、そうして生きてきた。
□まわりを失望させるのがすごく怖いし、嫌だ。
□自分に自信が持てない。
□自分にはあまり長所や価値や突出したものがないと思う。
□我慢しすぎているところがある。
□嫌われるのが嫌で無理してしまうことがある。
□本当の自分の姿がバレたらきっと人に嫌われると思っている。
□小さい頃から自分の意思を押し殺してきた。
あなたはいくつくらい思い当たりますか?
多少強引ですが、このリストから伺える人物像をまとめると「自分より相手を優先するいい人」ということになります。
もちろん、「そうか、私はいい人だったのか!」と喜んではいけません。あくまで、表面的な評価ですから。
本質は、まわりの目を気にして嫌われたり、敵をつくったりしないように、または攻撃されないように、「いい人でいようという意識が強い人」「敏感すぎる人」なだけです。相手からしたら「自分にとって都合の良い人」と軽んじられる対象です。
要は、このリストに当てはまればはまるほど、他人軸であるということだ。
誰しも多かれ少なかれ、他人軸ってあると思う。
かくいう私も、このリストはあまり見たくないと感じた。
該当するものがあるからだ。
やはり私の中にも「他人軸」はある。
他人のことは関知しない方だ敢えて主張していたと思うが、
それでも、いや、それだからこそ軸のブレがある。
いい人をやめることが近道
自分の感情を押し殺してでも、無理に相手に合わせる必要はありません。もちろん、かたくなに自分の意見を押し通すべきではありません。譲歩できる部分と絶対譲れない部分の境界線を引き、それを相手によって使い分けるべきなのです。
それができるようになるには、自分軸であることが必須だ。
そこで敢えて問う。
どうすれば、自分軸でいられるのか?
この自分軸の考察はまだまだ続く。
自分軸、これって私たち50代が育った時代はわかりにくい時代だったと思う。
私が子供の時は、他人軸でなんぼってかんじだった。
人に合わせて評価される、そんな風潮があった気がする。
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