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親を大事にしたい。でも、私を犠牲にはしない。|50代、同居する母との関係に決着をつけた話

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親には健康で長生きしてほしい。でも。

親との関係はうまくいっていますか?

私は親には健康長生きしてもらいたい。できるならずっと居てほしい。

最後はころっと楽に別世界へ行ってほしい。(私の最大の目標はピンコロだ。100歳まできっちり一人暮らしが楽しくできれば、ピンコロできると考えている)

苦しむ姿は絶対見たくない。

心からそう思っている。

嫌だけど、送ってあげようとも考えている。

しかしその傍ら、手がかかるのを負担に感じる。

鬱陶しい。

一人で暮らしたい。

そう感じることが最近多い。

地味に大変な毎日

親が年とるとできないことが増える。

ゴミ出し買い物全部私。洗濯、時々掃除、全部私。

その他病院通い、部落の草刈り、家の庭木の剪定の片付け。

地味に大変だよ。

同居してる人は、みんな平気なのか

親と同居している人はみんな文句なくこれをこなしてるのか?

そうなのか?

そうだったら話を聞かせてほしい。

そのコツを伝授してほしい。

暴言を吐いてしまう私

私は不満たらたらだ。

精神のバランスを崩しそうになる。

夏、こう毎日暑いと私の体調もすぐれず苦戦する。

体と心は一蓮托生だ。それを身をもって実感している日々。

そこに母親がこれまた暑いからだろう、鬱陶しい顔をして視界に登場してくる。

見るだけで不快になる。

暑いのはみんな同じだ!と言いたくなる。いや、実際言っている。

この気持ちは、いったい何なんだ

親に対して暴言を吐く。

喧嘩をする。

言い合いをする。しかも相手は耳が遠い。意思疎通が難しい。

それだけでえも言われぬ嫌な気持ちが湧きおこる。

これはなんだ?

親を大事にしたいのなら、そんなこと言うべきじゃない理性の声か?

はたまた、いつまでこれが続くんだよっていう不満の声か?

ちょっとは理解してくれよ、母さんっていう嘆きの声か?

ほかの兄弟は離れて暮らして、私ばっかり面倒見て被害にあわなきゃいけないんだ?という不服の声か?

誰だって親は大事にしたいさ。

当たり前だ。しかし理性と現実はうまく折り合わない。反発しあう。

私が最優先するのは、私

私はできることしかやらない。いやできることしかできない。

それ以上求めるなら、施設に行ってもらう。

私のキャパを超えたら面倒は見れない。

それは私の中では決定事項だ。

兄弟は反対しないはずだ。

多分親は嫌がるだろうけど、そして、それが痛いほどわかっているから罪悪感を私は感じるのだろう。

でも大事なのはなんだ?

私という個体にとって一番大事なのはなんだ?

それは「私」である。当たり前だけど「わたし」である。

大事なのは、最重要なのは、多分、私の体であり、心であり私という存在である。

心身ともに健やかで上機嫌な状態の私であるはずだ。

それを重視して親はじめ他人を犠牲にしていいのか?

いいのだろうか?

私はいいと思うのだ。敢えていいと考えるのだ。

自分を犠牲にしてまで他人のために生きて何になる?!本気でそう思う。

自分を犠牲にしたら、体は辟易し心は何も感じなくなりうつ状態になってしまう。

個体の強度さはあるにせよ、誰でもがそうなるだろう。

そうなったらどうだ?

そんなことになったら私自身が負のオーラを纏うことになる。

これが一番よくない。

私の世界にとって良くないし、周りの環境にとってよくない。社会にとって良くない、いや宇宙にとって良くないのである。

恩を返す義務なんて、ない

「恩をあだでかえす」などと言われるが、この考えにも異論がある。

正直、恩を返すかどうか、あだで返すかどうかもそれぞれの人間の価値観次第であり判断である。

ある人にとっては十分やったといわれるだろうし、またある人に言わせれば親不孝といわれるだろう。

所詮他人の判断である。

言わせておけだ。(どうでもいい)

そもそも恩を返す義務ってあるのか?

そんな恩返しを期待しているなら初めから恩を与える必要はないだろう。

それでも、断る

親の問題で言うなら、私が犠牲になって最後まで家で見るのが恩を返すことになるのか?

お父さんお母さんの言う通り全部私がしますよ、

そのかわり私の心が死ぬことと引き換えです。良いですか?

いや、それでいい、やってくれ。

自分は最後まで家にいたいからお前は犠牲になれ。

これは極端な例だ。普通親はそんなことは言わないと思う。

そう仮に言われたとしてもの場合だ。

私はご勘弁だ。

私が再起不能になって、親は喜ぶのか?悲しむのか?それは知らない。

もし頼まれたとしても、私はお断りする。

親不孝者と言われても罵られてもである。

それでも、悩み続ける

何を一番最優先するかっていう問題は、あらゆるところで直面する。

その中でも親とのかかわり方は極めつけだ。

情が絡むから複雑だし精神的抵抗がある。

しかも同居していると物理的に近いため、ぶつかる回数も増えるし摩擦も増えるしお互い疲弊する。

これはほんとう、厳しい。

体にとっても心にとってもだ。

正直、親との距離感には悩み続けることになりそうだ。

どの家庭もどの家族もみんなそれぞれこの問題には直面していくことになる。

そしてみんななんとか折り合いをつけて片付けて行っているのだろう。

今もこれからも。

そうせざるを得ないし、その対処法しかないのだと思う。

その時が来れば、対応するしかないのだから。

前もって準備できることには限界があるのも事実だから。

親だけでなく、これからもいろいろな局面で何を優先するのか考えなければならないだろう。

そのたびに思い出したい。

私が最重要視するのは何なのかという原点を。

それはどこまで行っても私である。

私なくしてわたしはありえないってことを。

最大の守るべき存在は私であるのが正解だってことを忘れずにいたいと思う。

私が納得するように何事も対処すれば、それは「我儘」にはならない着地になると思うがいかがだろうか?

あなたは年老いた親との関係性をどう感じているだろうか?

私のように自己と親とのはざまで揺れているなら、私の気持ちも少しはわかってもらえるかもしれない。

大丈夫、あなただけではない。

親との関係性は、結婚していようといまいがとても大きな課題であることは確かだから。

一緒に対応していこう。

同じ母との関係で、こんなことも書いた。

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嫌いじゃないのにイライラする|母との関係でアンガーログを始めた理由

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ピンコロ(ピンピンコロリ)については、こちらに書いた。

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健康のことも、心のことも、根っこにある不安は同じだと思う。私がこのブログで伝えたいことはお金の話ばかりじゃない理由|50代おひとり様がこのブログで伝えたいことにまとめている。

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