苦と欲望についてショウペンハウワーの考えを参考に考えてみた。苦も欲望もみんなに共通の人間のデフォルトだ。
今回は性格についての、彼の意見を紹介してみたい。
なお、本文に出てくるカンさんはこの本の著者のことである。
ショウペンハウワーの考えとそれをもとにしたカンさんの考察も載せているので、了解してほしい。
幸不幸は生まれつき決まってる?
ショウペンハウワーは、人間の性格は生まれたときに決まっており親に似ると考えている。
幸福と不幸は人間の生まれつきの性格によって決まる。生まれ持った気質や性格は不変であり、人間の幸福と不幸の感覚に持続的に影響を及ぼす。
なんと!!
さらに「すべての個人は、各自の本性により苦痛の質が定まっている。そのため、苦痛と幸福は外部の状況に左右されず、ただ本性の尺度と個人的要素によって決定される。」という。
それでは、人間の幸不幸は「おぎゃぁ」と生まれて瞬間に、しかもどの親から生まれてくるかで決まっているってこと?
おぎゃぁの後に本人の努力で決まるわけではなく、まさに「運命」として背負って生まれてくるってことなのか?
確かに遺伝に多くは支配されているというのは、現代科学でも承認されていることだろう。
私も個々の人間はそれぞれの色眼鏡を通してでしか物事を把握できない、ゆえに完全に相手を理解することはできないとは思っている。
しかし、こうもはっきり言い切られると少々ショックを受ける。
いやいや、本人の努力で改善できるっていうのが人生の意味なんじゃない?と変化の可能性にやりがいを感じているんですけど・・。
ところが、まだショウペンハウワーは私を安心させてくれない。
そしてさらに、これはカンさんの言葉だろう。「私たちに苦痛を与える外部の条件を取り除きさえすれば、満足度が高まるだろうと考えるのは、錯覚に過ぎない。苦痛は増えることもなく一定量を維持するからだ。」これはつまり人によって、苦痛や幸福を感じる気質が決まっていて、それは一生変わらないものと言っているんだろう。
じゃぁ、努力して実際は幸福らしいものが増えても、幸福に感じられないってこと?
・・・またしても追い打ちをかけられた。
ショウペンハウワーが暗いって言われる所以だな、これは。
希望の光差してきた、ショウペンハウワー
読み進めていくと、生まれたときからもっている変化しない性格は確かに大きい。しかし「教育で後天的性格を持つこと」ができるという。
先天性の性格は変えられない。しかし後天的性格で自分を導くことができるという。
私は暗くなった気持ちを切り替えた。
そうだよ、それがないと生まれてきた意味がないもんね。
これはカンさんの考察だろう。「自分がやりたいことと自分にやれることを知らなければ、生まれつきの気質と本能に支配されてしまうが、社会生活を経験しながら洞察力を身に付ければ、自分のなりの幸福の条件を見つけることができるだろう」これが後天的性格。
つまり、持って生まれた性格そのものを変えるのではなく、「自分は何ができて、何が向いているのか」を経験の中で知っていくことで作り上げる性格なのだろう。
良かったぁ。
私でも「新しい性格」を作ることで、生まれもった性格を方向調整できる・・・
先天的性格は変えることはできない。でも後天的な知識・経験によって、自分の行動や生き方を調整できるんだぁ。
私の心に明るい光が差してきた。やっぱり「人生かけて自分の生き方は自分で決めたい」ものね。
全部生まれながら決まってました・・それじゃ、悲しすぎる。それでも自分に合った幸せの見つけ方は、以前「幸せとは『楽しい時間』なのかもしれない」でも考えたことがある。
魚は水中、鳥は空中!『自分に合った環境』と自己満足の重要性
ショウペンハウワーは言う。
魚は水中にいてこそ、鳥は空中にいてこそ、モグラは地中にいてこそ幸せなのだ。
私流に言うと、
人間は遺伝子、親からもらった先天的性格に大きく支配されている。これにより幸不幸を感じる感性は決まっているし一生涯変えることはできない。
しかし、後天的経験と教育によって後天的性格を追加することはできる。そのためには自分ができること(能力)と自分に合ったことの交点を見つけ、そこで自分の才能を有益に使うことだ。
そうすることで先天的性格の欠陥を補正し、さらに幸福になれる・・・そういうことだろう。以前「私は何のスペシャリスト?」という記事でも、似たことを考えていた。
では、「自分に合った仕事」とは何なのだろう。
ここで、この本に出てきた韓国の教育の話が面白かった。
韓国の教育は、富と成功を保証する職業を手に入れることに重点が置かれているという。
カンさんによれば結構、あからさまに資本主義に乗っかる教育だ。日本より目的がはっきりしている。
この後天的性格は仕事にも言えることで、「人格にあった仕事」に就く努力をせよとカンさんは言う。韓国にも自分の個性より富と成功に重きを置いて、苦しんでる人が多いのだろう。
「幸福とは、自分の個性と素質に合わせて努力し、そこから到達できる満足感のことだ」という。
やっぱり満足感かぁ。私の自己満足最強説は間違っていないようだ。
森博嗣さんの本(「面白い」を追いかけたら「満足」と「自由」が見えてきた)を思い出した。自己満足できて、さらにそれと仕事が結び付いて経済的に安定すること。
その重要さがこの本では強調されている。森さんは「自分が満足すればいい」という方向が強い。
そこが違いだ。
自分の生まれ持った性格を受け入れつつ、自己理解を深めることで「わたしらしい幸福」を見つけていく。それが人生の個々人の課題といえるのかもしれない。
人生を遠くから眺めてみる
ここまで「生まれ持った性格」と「自分に合った生き方」について考えてきた。最後に、この本の中で特に心に残った文章を紹介したい。
人生とは目の粗いモザイクのようなものだ。近くから見たときはそれが何かはよくわからないが、遠目で見ればその美しさが見えてくる。
確かに私たちの人生は、失敗、挫折、悲しみ、喪失、痛みなど数々のマイナス要素が降りかかってくる。
そしてそこから立ち上がり、喜び、楽しさ、達成などを得ることもある。その時々は必死なだけ。
でも、神様の目からみると案外、それ自体が美しい織物になっているのかもしれない。
私は逃げることなく、その時々の感情を冷静に味わう、そして満足できるようにしたいと思ったのである。
ショウペンハウワーはなぜ「人生は苦しい」と考えたのか?|『求めない練習』を読んで
理想の生活とは?森博嗣を読んで「自分が本当にしたい暮らし」を考えた
健康のことも、心のことも、根っこにある不安は同じだと思う。私がこのブログで伝えたいことはお金の話ばかりじゃない理由|50代おひとり様がこのブログで伝えたいことにまとめている。

