あなたのご両親はお元気だろうか?
一緒に暮らしているだろうか?
私は母と同居している。
父は近くの祖父母の家で就寝している。
朝晩食事の時は帰ってくる。
そんな毎日だ。
普段は私と母が実家にいる。
ほぼ2人暮らし。
昨年、母は半年ほど入院していた。
そして秋口退院できた。
良かったねお母さん、だったのであるがそこから私の苦難が始まる。
親の変化について書いてみたい。
母が「変わった」と気づいたのは、いつだったか
母は変わった。
もともとは元気で働き者。ほんとうによく働く人だった。
じっとしていられない、何かをしていないと時間がもったいない。
そう考えてるみたいだった。
体を使いすぎて、仕事をしすぎて
体を悪くした。
体が左に傾いてそれで固定してしまった。
明るくて元気で声が大きくて、頑張り屋の母。
昨年右膝に人工関節を入れた。
その後、傷口に病原菌が入ったらしく再手術。
3ヵ月後やっと退院できた。
退院したのは良いが、フラフラする、気分が悪いという。
夏の暑さで体調崩したのかと思っていた。
ある日トイレで倒れてしまう。
救急車で運ばれた。
十二指腸から出血していた。
血が少なくなり極度の貧血だったらしい。
その後また入院。
入退院を繰り返し、足がすっかり弱ってしまった母。
そりゃそうだ、入院してたら歩くことはできない。
しかもヨボヨボだから歩いててこけると病院も困るだろう。
歩けなくなった。
そして母は変わった。昨年の長い入院の後私は感じた。
耳が遠い・怒りやすい・文句ばかり 気難しさの”中身”
母は難しい人になった。
いつもしかめ面。
そして文句ばかり言うようになった。
さらに極度の難聴になった。
足が痛くて仕方ない。
耳が聞こえない。
何を言ってるのかわからない。
会話に入れない。
動きたくても動けない。
どこへも行けない。
そりゃ、いらいらもするだろう。
耳はまだいい。
いつも足が痛いというのが一番の不機嫌の原因だろう。
痛みがあるのはつらい。
体と心は一心同体だから心は体に引っ張られる。
気の毒だと思う。
私が一緒だと生活はできる。しかし私の犠牲があってのことだった
母には車の運転を許可していない。
一人で行動させるのは、危ないと判断したからだ。
本人は買い物に行きたいようだが、
耳が遠い、歩くのがやっと、それじゃあ、こっちが怖すぎる。
母は食事を作り始めた。
食事担当に収まったというべきか。
足が痛いし握力もなくなっているため、最初は一緒に台所に立っていたわたし。
しかしすぐ悟った。
この人と一緒に台所に立つことはできない。
やり方がことごとく違うし、何を手伝っても文句がでてくるのだ。
すぐ喧嘩になる。
一緒に台所には立たない、
それが私のルールになった。
私自身を守るためのルール。
自分を守る大切さについて、こちらにも書いた。
→ ブラック企業20年で学んだ|心の黄色信号を見逃さない方法
一番しんどいのは「ケアが必要かどうかわからない」段階だ
母は今のところトイレも自分でいけているし、食事も作れている。
しかめっ面は相変わらずであるが。
耳はだんだん聞こえにくくなっているようだ。
補聴器を付けていても、である。
新しい補聴器を買おうといっても
「こんなもの高いだけで意味がない」という。
多分役立たないものにこれ以上お金をかけたくないんだと思う。
でも耳が聞こえないと困るだろうに。
足も手術後、思うように回復しない。
ずっと痛いしむくみもある。
本人も分からないらしいが、他者である私はもっとわからない。
このままにしておくべきか否か。
病院にはいろいろかかっているがとどのつまり、処置には限界があるわけで。
両親のことにはベストを私なりに尽くしたい。
しかし正直、面倒に思うことも多い。
本人のことを思って行動したことでも強烈な批判と反対にあう。
そこまでしてやる価値があるのか?
私が嫌な思いしてまでやる価値があるのか?
そんな私を母は
意地悪だと思っているらしい。
とにかく文句が多いし、感謝が無い人になった。
病院に連れて行けばいい、だけじゃない
私の仕事は昨年より増えた。
病院だけではない。
日々の買い物、ごみ出し、草取り、洗濯物とその取り込み――
いままで母がしてくれていたこと、全部私に回ってきた。
一人だけならゴミも少ないが、
そうも言ってられない。
母は買い物大好き。
広告を見ては「あれ買え、これ買え」と指示が飛んできた。
私が良かれと思って買ったものに対して、
「高い」「鮮度が悪い」「普段からしてないから、なにもわかっていない」・・・
いろいろ言われた。
買い物だけならいい。
そのあとの文句が腹立たしかった。
母が悪いわけじゃない。
今まで家を回してきた人だから、元気だった頃のやり方でやろうとしているだけだ。
でもそれが原因で私も疲れていた。
「実家を出たい」と思った夜のこと
私は母のことを思って文句を言われても耐えていた。
けんかが絶えなかった。
ある日「出ていけ」と何回も言われた。母に。
私は父に言った。
「今度出ていけと言われたら、私、本当に出ていくから。何も好きでこの家にいるわけじゃない。お父さんが一緒に住んだらいい」
私の目から涙が溢れていた。
父は「・・・ そんなこと 言わんでくれ」とポツリ。
父も母と同居はしたくないってこと。
そりゃそうだ。
こんなになった母とは誰だって一緒に住みたくないよね。
一番つらいのは、母自身が父と私にそう思われていることを知ってることだ。
わかっていても言ってしまうんだろう、母も。
それでも私は、今日もここにいる
私が父と母の前で涙を流して以来、
母の「出ていけ」発言はなくなった。
ほんとうに出ていくとわかったからだろう。
出ていかれては困る、生活できない。そこは母も理解しているらしい。
おかげで一緒に居られている。
我が家は古い家。
大きい家なのである。
母屋とひや、2棟ある。母が母屋で私はひや。
この物理的距離がありがたい。
小さな家だと私は家を出ていたと思う。
後ろ髪引かれて泣きながら、自分を守るために出て行ったと思う。
古い家が私の味方。
そして母も理解してくれたようだ。
退院から半年以上経った今、母も当時に比べて丸くなった。
良かった。
私、父、母、3人が絶妙なバランスの上でそれぞれ頑張っている。
そして私は今日も家にいる。
片耳で母親の気配を感じながら。
朝は母の作った味噌汁を飲んでいる私がいる。
同居している親のことを書いた記事はこちらにもある。
→ 親と同居する50代独身女性の老後準備|実家暮らしだから安心とは言えない理由

