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澤田瞳子『若冲』を読んで|天才画家の生涯と「没頭する幸福」

50代になって、新しい扉が開いた話
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私の知人の勧めで読んだ小説 澤田瞳子「若冲」について感じたことを書いてみたい

私は若冲の絵が好きだ。
実物を何回も見たことがある。
10数年前くらいからめちゃくちゃ有名かつ人気になった若冲。あれだけの絵を描いてるんだから当然か。

彼は生涯独身だった。(と言われている)
だからこそあの情熱が絵に迸ることができたと私は考えている。
独身の男性はエネルギーが逃げない分、仕事に恐ろしい集中力を見せるという説を私は信じている。
あなたは絵画はお好きだろうか?
若冲の描く生物、動物、神、仏はどれも物凄いエネルギーを放っている。

この小説を読んでみたいと思ったのは、絵の力だったのかもしれない。

そこには人間若冲がいた

この本は小説であり、もちろんフィクションである。若冲は過去妻帯していてその妻を自殺に追いやったという設定で物語が始まった。
裕福な家に生まれた若冲。
すでに彼は絵を書きまくっており、実家の商いはほぼ弟任せ状態だった。
小説では妻に対する罪悪感が当初の彼の絵のエネルギーになっている。

京訛りで話す若冲とその妹 お志乃。
まず京訛りがいい。はんなりと優しい。生まれが良いためかどちらも綺麗で静かな言葉で会話しているのが心地よい。彼の内面の激しさ、苦しさ、寂しさ、燃えるような思いとは裏腹に外見のしなやかさがいい。人の話す言葉がここまで生き生きした印象を与えるのかと改めて感じた。言葉って大事だ。登場人物のセリフが入ってくるが、これが人物の印象を決めている。

江戸時代の京都はかくあったのだろうか?
若冲は顔料は一番高価なものを惜しげもなく使っている。
いろいろな商業の組合が形成され、奉行所とのやりとりも描かれている。
今でいう行政の取り締まりと許可で商いをしていた商人たち。若冲は商売人の家に生まれたため舞台は必然的にこの界隈になる。不正もあった不景気もあった。
それに一喜一憂している京の人々の温度感。大衆というのはいつの時代もそういうものかもしれない。

京の人々の雑多な話声、若冲が色を置いていく姿、お志乃が顔料を溶く音が自分の近くに感じられる。
これが小説家の力か・・・と思った。

円山応挙、池大雅、与謝蕪村 華やかな面々が彩る物語

絵の好きな人なら知っているだろう。これらの人々の絵とその名前を。
日本画の巨匠たちがフルキャストで登場する。
同じ時代の人物だったのか。それすら知らなかった。
池大雅と若冲は仲がいい設定。池大雅は明るく人のいい人物として描かれていた。
若冲は人嫌いの引きこもり、絵画一筋、実家の厄介者。
円山応挙は静かな常識人、みんなに好かれる正統派。
ほんとかどうかは知らない。でも、この小説の中では彼らがまさにそうだったように書かれている。

そんな人たちも物語の後半になると、線香花火が終わるように死去していった。
最期、若冲自身も枯れるように亡くなった。当時でいうとかなりの高齢だった。まさに精魂尽きたのだろう。若冲の法要を営むシーンで義弟の本当の想いが明らかになり物語は終焉する。

若冲の心情に踏み込んだ物語が面白い

「絵」という2次元の物質に、どこまでその人の思いが入っているものなのか。
それをありありと書いた本作は絵を見る意味でも面白いと思った。

ある時の絵は罪悪感、自分を追い込む絵。
ある時は義理の弟に対する競争心、負けまいと思い必死になる絵。
ある時は義理の弟の贋作を自分の絵だといい、憎き義弟のすべてを受け入れて、それと対比する構図の絵。
ある時は自殺した妻と歩いた神社の道、その先に妻の出所がある絵。

その時々に作家の人生が溶け込んでいる。

絵は人生を映し出す鏡

絵は人生を映し出す。
絵師はすべてをかけて描いている。当然そうなる。
私は絵を見るのに知識はあったほうが良い。それは、自分が絵を解釈するのに助かる程度の知識でいい。
ごちゃごちゃ雑学的な知識は不要だ。

若冲は天才ですべてをかけて絵を描いた。
それはあの絵をみたら誰でもわかる。
私はこの「誰でもわかる」一生をかけた仕事である事実が凄いと思う。
彼個人が幸せであったのかどうかはわからない。
しかし、あれだけ集中できた没頭できた作品を見る限り、稀に見る幸せ者と言える。

才能うんぬんではない。没頭できることがある、没入できる才がある。
それが幸せの証と思うが如何だろうか?

幸せの源泉は没頭にあり!

私はここ最近、この「没頭できる」が幸せの源泉である気がしている。
寝食を忘れて没入することができる人は幸せ者だ。
これが趣味でも仕事でも何でもいい。お金になればもっといい。(私の場合モチベーションアップに直結!)
没入できる何か。これが問題だ。
私が寝食を忘れたのは過去2回。どちらも読書体験だった。1作品は吉川英治「三国志」、もう1作は「指輪物語」である。あれは面白かった。途中でやめることができなかった。
・・・悲しいかな。
これは作品とのご縁による。
もっと私から迸る何かが欲しい。

私の幸せの「源泉」はいずこに?
自己探求は続くのだ。

2025年国宝展でみた若冲

関西三都で行われた国宝展。そこでみた若冲は有名な鶏の絵画だった。鮮やかな鶏冠の赤が印象的な鶏。
彼は鶏の絵を好んで描いたという。
なんでなんだろう?
小説にはそれに関する説明はなかった。

何か意味があるのだろうか?
今度調べてみたい。

ところで、あなたは若冲の絵を実際見たことがあるだろうか?
花であれば葉脈の1筋、鶏であれば鶏冠のブツブツした表面の一つ、羽の毛1本すべて描きこんでいる。そして高級顔料パワーのおかげで現代でも美しい発色を楽しめる。
単に細かいだけでなく、華のある絵。
静かな色調の絵でも、その描く線で華やかさがある。

ほんと彼の絵は、その美しさだけで一目見たら忘れられない。
まだ見たことがないのであれば、ぜひ、見てほしい。
あの絵を見ると、彼個人の人生に興味が湧いてくると思う。

この作品はあくまでフィクションである。作家の力によって江戸時代の京へタイムスリップできる良作である。読み終わった後、絵画ひとつから広がる人々の人生模様と作者の思いに心が強烈に惹かれる物語であった。

小説は史実に反することは書けない。でもわからない部分は自由に書ける。
真実かどうかは問題ではない。
あの時代の日本の人々の息遣いに思いをはせてみたい。
天才絵師の絵に打ち込む魂を感じてみてほしい。

ただ個人的にいえば、話の核心部分が創作であるため全体的に私自身が感情移入しにくいところはあった。核心部分がフィクションだからそこから出てくる感情、絵に対する解釈も100%著者の想像ということになる。もし、本当に妻帯であったのなら話は別であるけれど。
私はどこまでも、「その人本人」のことが知りたいらしい。
特に好きな絵師、若冲であればなおさら。

それにしても鬼才の天才若冲は、自分の絵が数百年後、拍手喝采、一枚だけでも人だかりができるのを見てなんと思っているのだろう。
「わしの作品や、当たり前や」くらいは思っているかもしれない。

急に若冲の絵が見たくなった。
展示会の予定を調べようと思う。

この本が気になる方はこちら(澤田瞳子『若冲』文春文庫)

実物の絵を見に行った、他のアーティストデートの記録はこちらにも書いた。
【笠岡市・竹喬美術館】50代おひとり様のアーティストデート、心が静かに揺れた日
【岡山天文博物館】春の星座に心奪われた、50代おひとり様のアーティストデート

こうした気づきも、私の中では一本の線でつながっている。このブログ全体の考え方はお金の話ばかりじゃない理由|50代おひとり様がこのブログで伝えたいことにまとめている。

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